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更新日付:2023年12月19日 地域交通・連携課

AOMORI LIFESHIFT人財インタビュー15 渡邊 喜紀 さん

移住後ゼロからスタートした林業。
仕事を越えて普及活動をするように

吉田さん01 「kama土カンパニー」代表
五戸町在住。長野県の畳屋に生まれ、栃木県の大学で土木工学を学んだ後、東京都の建設会社に就職。29歳で退社し、家業の手伝いを経て、妻の実家がある八戸市へ移住。三八地方森林組合に入り、三八地域の山の整備をするなかで、新郷村の「木の駅」の導入に尽力する。また、八戸工業大学感性デザイン学科で授業を受け持つなど、林業の普及活動を精力的に行っている。


自分がしたいことを模索した日々

東京の建設会社に就職し、主に技術開発の仕事をしていました。ところが、29歳で大きなプロジェクトが一区切りついたのをきっかけに、虚無感にかられてしまいました。今振り返れば、燃え尽きたのかもしれません。「今人生を変えないと」と焦って、悩んだ末に退職しました。とはいえ、そのときはまだ、自分が何をしたいのか見えていませんでした。 

退職後は、畳屋をしている長野の実家に戻って、親父の手伝いをしました。でも、昔ながらの畳が、現代のフローリングが主流の住宅と合っていないことがわかってきて、疑問を感じるようになりました。

そんななか、自分で綿の栽培や羊を飼育して糸紡ぎをしている方と出会い、その方のもとに通うようになりました。あるとき、羊の毛刈りの手伝いをして、暴れる羊を抑える役割を任されました。それがものすごく重労働だったんです。終わるとヘトヘトになっていたけれど、同時に体験したことのない充足感を感じました。そして、「こんな生き方がしたい」と思いました。具体的に何というわけではありませんが、「自然に近い生活をしたい」と、ようやく自分の生き方が見えました。

理想の生き方を求めて八戸へ

35歳のとき、目指す生き方を実現するために、妻の出身地である八戸市に移住しました。東日本大震災が起きた直後でしたが、畳の仕事を辞めて、車2台にすべての荷物を押し込んで、ドタバタとこっちにやって来ました。 

それからとりあえず働こうと、三八地方森林組合の製材管理者の募集を見つけて応募しました。「木について学べるのはいいな」と思って入ったんですが、半年くらいで森林整備の現場管理を任されることになってしまって・・・思いもよらぬ展開で山仕事が始まりました。 

間もなくして記録的な大雪が降って、担当していた地区の木が、雪の重みでバタバタ倒れてしまいました。それを処理するために大きな事業が立ち上がり、周辺の山一体を整備することになりました。僕は、山主さんに山の現状をお伝えして、整備を提案する立場でした。知らない土地で、方言もわからないなか、山主さんとのコミュニケーションは大変でした。電話をしても、何を言っているかわからない。その頃は、毎日夕方になると頭痛がしたものです。

それでも意地で数年続けているうちに、山主さんとの信頼関係もできてきて、山の仕事にどんどん惹かれていきました。山をお預かりして、植林から剪定、草刈りまでしていると、山の成長を見ることができます。今年はこんな草花が生えてきたとか、いろんな発見があって面白いんです。
  • マグ女
    林業の仕事をする渡邉さん

東北ではじめて「木の駅」を導入

山で折れた木は組合が処理した後、その場に置いておくことが多いのですが、山主さんから「もったいない」という声があがっていました。とはいえ、一度折れた木は全体に割れがあって市場には出しにくい。チップや薪にするのが通常ですが、それでは採算は合いません。 

そこで、「木の駅」という取組に目をつけました。これは、伐採した木を山主さんが木の駅に運びこむと、地域通貨で買い取ってもらえるというもの。地域通貨はその地域のいろいろなお店で使えて、通貨を受け取った店の人も同じように別の店で使えます。山主さんが自分の山をきれいにできて、さらに地元で飲んだり散髪したりできる。そのうえ地域の経済もぐるぐる回る仕組みです。 

木の駅は当時、西日本でわずかに行われていただけでしたが、新郷村の村長や勤務先の組合長に提案して、東北ではじめて導入してもらいました。「そんな仕組み、誰も利用しない」とも言われましたが、蓋を開けたらすごい量の木が持ち込まれ、地域通貨が使われました。あれから8年ほど経ちますが、今も盛んです。

また、木の駅を開設したときに、村の温泉施設に薪のボイラーが設置されました。木の駅に運び込まれた丸太は森林組合が買い取り、薪に加工してその温泉施設に納入しています。
  • マグ女
    新郷村の「木の駅」

プライベートで林業の普及活動を行う

森林組合の仕事で多くの山主さんと話をするうちに、山が抱える問題も見えてきました。深刻なのは、山主さんの子供など後継者となる人が山に興味を持っていないことです。山主さんがいそしんで山の手入れをしていても、山の素晴らしさが次の世代に伝わっていない。

そんな現状を知ったこともあって、仕事以外の時間に山のことを伝える活動をするようになりました。 

まず、薪ストーブを使っている仲間から希望者を募って、山へ連れて行くようになりました。そして、チェンソーで木を切り出す作業や、薪割りを実際に体験してもらって、自分たちが使っている薪が、どこでどのように作られているのか知ってもらいます。参加者のなかには、「楽しい」と感動する方もいれば、「こんな大変な仕事をしているなら、もっと注目されるべきだ」と、林業のカレンダーをつくった方もいました。 

その活動からご縁が広がって、八戸工業大学の感性デザイン学科で、林業の魅力を伝える授業を教授とつくることになりました。そこでは、学生たちと林業の絵本を制作しました。絵本というのは親から子へ、さらにその子へと読み継がれていくものです。同じように林業も、代々受け継がれてほしいという思いを込めています。
  • yoshida07
    大学の授業で林業を教える渡邉さん

山主になり、ますます山に愛着を感じる

7年ほど前、とある山主さんから「山を譲りたい」と相談されました。山を預かる立場の自分が、山を所有するのはどうかと思ったんですが、一般の人に林業を伝えるときに、山主さんに借りている山だとできることが限られてしまいます。林業の普及のためにも、譲ってもらうことにしました。 

山主になって、改めて山の豊かさを実感しています。山菜やきのこは採れるし、薪ストーブの薪も買ったことがありません。自宅の床も、所有する山林から木を伐り出し、自ら加工してフローリングにしました。ゆくゆくは子供たちがおもいっきり遊べる場所や、炭小屋なども山につくりたいと思っています。 

2021年には、妻と「kama土カンパニー」という会社を立ち上げました。僕のプライベートでの林業の普及活動で多少収入があったので、染め物を教えている妻の活動とあわせて開業することにしたんです。会社名は「火のある暮らし」という意味で、息子が考えてくれました。 

もともと林業なんてまったく興味がなかったのですが、日々、自然と山に気持ちが向きます。そろそろ枝をおろしてあげなきゃとか、あそこの草を刈ってあげなきゃなんてことを、いつも考えている。うまく言えませんが、自分が育ててきたという愛おしさを感じるんです。

「なんでもっと早く林業に出会わなかったんだろう」と悔やんだ時期もありましたが、今は遠回りしてきたからこそ僕にできる役回りがあったと思っています。

何事も、やってみないとわからないものです。今の僕があるのは、ドタバタながらもやってみたから。やっぱり違うと感じたら辞めればいいんです。少しでも何かを始めることが大切だと思います。

この記事についてのお問い合わせ

若者定着還流促進課人づくりグループ
電話:017-734-9133  FAX:017-734-8027

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