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更新日付:2022年4月27日 りんご果樹課
データで見るりんご:輸出入
青森りんごの輸出は、100年を超える長い歴史があり、現在は、台湾を中心として、主にアジア地域に輸出され、食味や品質、大きさで高い評価を得ています。
一方、我が国におけるりんご生果実の輸入は、昭和46年の自由化以降、韓国等から少量輸入されていた程度でしたが、平成5年以降は、病害虫の防除技術が確立したとして、ニュージーランドや、アメリカ及びオーストラリアの一部からの輸入が認められました。
一方、我が国におけるりんご生果実の輸入は、昭和46年の自由化以降、韓国等から少量輸入されていた程度でしたが、平成5年以降は、病害虫の防除技術が確立したとして、ニュージーランドや、アメリカ及びオーストラリアの一部からの輸入が認められました。
青森りんごの輸出状況
青森りんごの輸出は、明治27年に函館港から中国(当時は清国)へ輸出されたのが始まりで、明治30年代にはロシアのウラジオストックへの輸出が主となり、上海、香港、マニラなどの東南アジアへと拡大していきました。
第2次大戦後には、生産量の回復とともに、香港、フィリピンなどへの輸出が増大していきましたが、昭和40年代後半には競争力を失って急激に減少し、輸出は低迷期に入りました。
平成14年に台湾がWTOへ加盟したことを契機に、台湾を中心として輸出量を伸ばし、平成18年産からは4年連続で輸出量が2万トンを超えましたが、平成22年産からは記録的な円高を背景に減少に転じ、特に、平成23年産では産地の価格高により1万トンを下回る状況となりました。その後は、県と関係団体が連携して販売促進に努めたことなどから輸出量は回復し、平成27年産では過去最高の3万6,304トンとなりました。
第2次大戦後には、生産量の回復とともに、香港、フィリピンなどへの輸出が増大していきましたが、昭和40年代後半には競争力を失って急激に減少し、輸出は低迷期に入りました。
平成14年に台湾がWTOへ加盟したことを契機に、台湾を中心として輸出量を伸ばし、平成18年産からは4年連続で輸出量が2万トンを超えましたが、平成22年産からは記録的な円高を背景に減少に転じ、特に、平成23年産では産地の価格高により1万トンを下回る状況となりました。その後は、県と関係団体が連携して販売促進に努めたことなどから輸出量は回復し、平成27年産では過去最高の3万6,304トンとなりました。
我が国におけるりんごの輸入状況
我が国におけるりんごの輸入は、昭和46年に自由化されましたが、世界的な生産地である中国や欧米からは、日本で未発生の病害虫であるコドリンガや火傷病等の侵入防止を目的に禁止されていたため、韓国から断続的に少量輸入されていた程度でした。
しかし、平成5年以降は、病害虫の防除技術が確立したとして、ニュージーランドと、アメリカ及びオーストラリアの一部からの輸入が認められました。
平成23年産の国内産の極端な減収を契機として、平成24年以降は国内産の高値により一定量がニュージーランドを主体に輸入されており、令和3年の輸入量は8,284トンとなっています。
しかし、平成5年以降は、病害虫の防除技術が確立したとして、ニュージーランドと、アメリカ及びオーストラリアの一部からの輸入が認められました。
平成23年産の国内産の極端な減収を契機として、平成24年以降は国内産の高値により一定量がニュージーランドを主体に輸入されており、令和3年の輸入量は8,284トンとなっています。