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更新日付:2023年2月10日 文化財保護課

寒立馬とその生息地

記念物(県天然記念物)

寒立馬とその生息地

指定区分 県天然記念物
名称 かんだちめとそのせいそくち
寒立馬とその生息地
所在地 下北郡東通村尻屋字念仏間37-20ほか
所有者 東通村産業振興公社
指定年月日 平成14年11月18日
公開状況 公開
問合せ先 東通村農林畜産課
 TEL0175-27-2111(代)

 寒立馬の祖である南部馬は古文書的に平安時代まで遡ることができる。平安時代後期には、下北半島にも馬が放牧されており、「尾駮の駒」とか「糠部駿馬」と呼ばれていた。江戸時代後期の盛岡藩領時代には藩の政策のもと、下北地方の沿岸地帯には糠部駿馬の血を引く南部馬を祖とする田名部馬が「四季置付」と称して周年放牧されていた。特に周年放牧については、盛岡藩の藩有牧において遅くとも宝暦年間の頃から実施していることから、尻屋地区の民有馬についても、この頃から周年放牧を行っていたとみられる。
 この周年放牧の田名部馬は比較的小柄ではあるが、寒さと粗食に耐え、持久力に富むことから、藩政時代から明治、大正、昭和にわたり、軍用馬育成を目的として外来馬との交配により大型体躯へと改良されてきた。しかし、戦後は農業においても機械化が進み、農耕馬・荷役馬等の需要が次第に減り、昭和35年(1960年)以降は田名部馬とブルトン種(仏産大型肉用馬)との交配が進められた。現在は尻屋の寒立馬と呼ばれ、観光面での付加価値も加わり、周年自然放牧の馬として注目されている。
 「寒立ち」とは、カモシカが冬季に山地の高いところで長時間雪中に立ちつくす様を表すマタギ言葉である。「寒立馬」はもともと「野放馬」と呼ばれていたが、冬季、寒風吹きすさぶ尻屋崎の雪原で野放馬がじっと立っている様子が、カモシカの「寒立ち」に似ていることから、昭和45年(1970年)に尻屋小中学校の岩佐勉校長が年頭の書初め会で、「東雲に勇みいななく寒立馬筑紫が原の嵐ものかは」と詠んだ。これ以来、尻屋の野放馬は、「寒立馬」と呼ばれるようになった。

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この記事についてのお問い合わせ

文化財保護課
電話:017-734-9919  FAX:017-734-8280
※見学に関するお問い合わせは、所有者又は各市町村教育委員会へお願いします。

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