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更新日付:2008年9月1日 地域生活文化課

青森県近現代史の玉手箱04「橋と川の街~大鰐温泉」

橋と川が古き温泉宿の情緒を醸し出しています。    編集  近現代部会担当 中園 裕

大鰐温泉のヤマニ仙遊館
 大鰐温泉の魅力の一つは、歴史ある街並みや古い旅館が残っていることでしょう。大鰐温泉の絵はがきには、古い街並みや旅館が写されていますが、今でも当時の面影を残すものがいくつかあります。
 近代以降、大鰐を代表する温泉宿として、加賀助旅館と大鰐ホテルがありました。前者は平川沿いに建てられ、川の北側には大円寺がありました。大町桂月が好んで宿泊したことでも知られています。後者は相生橋付近、当時は珍しい3階建ての宿でした。皇族や有名俳優なども宿泊し、大鰐温泉のシンボルでした。残念ながらどちらも現存していませんが、加賀助旅館跡には往事を偲ぶ小さな公園があります。
 現存する古い旅館としては、ヤマニ仙遊館、後藤旅館、不二や旅館などが有名です。ヤマニ仙遊館は、明治期に創業した老舗旅館で、青柳橋を北に渡ってすぐのところにあります(写真1)。平川の氾濫による水害で、建物は多少補修されていますが、外観・内装ともに創業以来の趣を十分に残しています。建物自体が貴重な歴史的遺構といえるかもしれません。
 ヤマニ仙遊館の東側、写真1の右側方面に向かうと、不二や旅館(現不二やホテル)があります。こちらも大正末期に創業した老舗旅館です。建物自体は洋館となっていますが、場所は変わっていません。

 写真1は、ヤマニ仙遊館と青柳橋(大正中期~昭和初期・県史編さんグループ所蔵)
青柳橋は1916(大正5)年に架設。橋の右側は蔵館村、左側は大鰐町。

 1954(昭和29)年の合併までは、平川を挟んで北側が蔵館村、南側が大鰐村(1923〔大正12〕年に町制施行します)でした。そのためヤマニ仙遊館や不二や旅館は、蔵館村の温泉宿だったのです(写真1に、蔵館温泉地名所とあるのは、そのためです)。
 これに対し後藤旅館は平川の南側、ヤマニ仙遊館の斜め向かい側に位置していました(写真2)。だから大鰐町側にあったわけです。ヤマニ仙遊館同様、後藤旅館も明治期以来の老舗旅館で、当時は静養館とも呼ばれていました。
  • 大鰐温泉の後藤旅館
    写真2 ヤマニ仙遊館から見た後藤旅館
    (明治末期~大正初期・県史編さんグループ所蔵)
  • 大鰐温泉の後藤旅館(近影)
    写真3 現在の後藤旅館(中央の赤い屋根)
 合併前の大鰐・蔵館両温泉街は、平川を挟んで向かい合っていました。両温泉街をつなぐ橋は、1916(大正5)年に青柳橋ができるまでは、相生橋だけでした。橋が少なかったことが両町村の差異を浮き立たせたのかもしれません。しかし、近隣の町村どうしの交流にあたり、橋が一つしかないのは、やはり不便だったのでしょう。橋を架けて欲しいという要望が両町村から高まります。その結果、以後たくさんの橋が架けられます。
 ちなみに現在、温泉街の中心地に架かる橋を数えて見ましょう。ヤマニ仙遊館がある青柳橋から大鰐駅付近までの僅か1キロメートルほどの間に、青柳橋、中の橋、月見橋、相生橋、夏沢橋、羽黒橋、虹の大橋と、7つも橋が架かっています。大鰐町は温泉の町であると同時に、「橋の町」ともいえるかもしれません。7つの橋は、それぞれ形や色が異なり、美しい平川の流れに沿って温泉街を彩っています。
 この美しい平川が町中を流れることで、大鰐温泉街は情緒ある雰囲気を醸し出しているのです。

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