ホーム > 組織でさがす > 交通・地域社会部 > 地域生活文化課 > ちょっと昔の青森県03「深浦町の海岸線」(青森県史)

関連分野

更新日付:2008年8月7日 地域生活文化課

ちょっと昔の青森県03「深浦町の海岸線」(青森県史)

美しい深浦町の海岸線をご紹介します。   編集 近現代部会担当 中園 裕

千畳敷駅
 深浦町は、1955(昭和30)年7月29日に大戸瀬村と合併しました。大戸瀬村は千畳敷で有名です。写真は、1961(昭和36)年8月頃の千畳敷駅です。戦後の観光ブームにのって、1954(昭和29)年にできたものです。ホームだけしかない駅ですが、現在もあまり変わっていません。
 2005(平成17)年3月31日、深浦町と岩崎村が合併したことは記憶に新しいでしょう。この合併によって、鰺ヶ沢町以西の西海岸はすべて深浦町となりました。岩崎村は十二湖で有名ですが、美しい海岸線が広がっていることでも知られています。夏は絶景といえますが、冬は風雪が吹き付ける厳しい地になります。

写真 千畳敷駅に降り立つ観光客 1961(昭和36)年8月(県史編さんグループ所蔵)

猿神鼻
 一方、深浦町の中心地は今も昔も深浦湾周辺です。当初、深浦湾の東側は断崖絶壁で、道路を通すためにトンネルを作った経緯があります。このトンネルは猿神鼻(さるかみはな)の洞門と呼ばれ、円覚寺とならぶ深浦の名勝地でした。
 写真は、上の写真と同じ時期に撮影されたものです。当初は洞門のすぐ横に海が迫っていたのですが、漁港改修と道路拡張のため、洞門周辺の海側は埋立てられました。深浦十二景のひとつとして有名だった猿神鼻も、現在は深浦町歴史民俗資料館と深浦町美術館の片隅にひっそりと保存されています。
 深浦湾の埋立て作業は、この後に本格化し、1982(昭和57)年、現在の町役場が埋立地の上に移転・新築されました。

写真 猿神鼻の洞門 1961(昭和36)年8月撮影(県史編さんグループ所蔵)


深浦港
合併によって南北に長大となった深浦町は、文化や風習、人の交流などが、町域内で相当に違います。北部の旧大戸瀬村地区は鰺ヶ沢や五所川原方面と、南部の旧深浦町地区や旧岩崎村地区は秋田県地方と、それぞれ交流の歴史が深いのです。
 現在の深浦町は、西海岸の景勝地を中心とする観光政策を重視しています。これは旧岩崎村地区にある白神山地が世界遺産に登録されて以降顕著になったといえるでしょう。2006(平成18)年の五能線70周年を前に、JR東日本が「リゾートしらかみ号」を走らせたのも影響しています。
 西海岸は漁業の振興や波浪災害の防止のため護岸工事が続きました。近年は西海岸の自然に注目が集まっています。かつて北前船が行き交う拠点だった深浦湊も、近代以降は漁業を中心とする深浦村、そして現在は海岸景勝の深浦町へと姿を変えてきています。
 
写真 埋立て中の深浦港 1974(昭和49)年8月(県史編さんグループ所蔵)                                  

関連ページ

この記事についてのお問い合わせ

【現在作業中】R5の問い合わせ先です
環境生活部 県民生活文化課 県史編さんグループ
電話:017-734-9238・9239  FAX:017-734-8063

この記事をシェアする

  • facebookでシェアする
  • twitterでシェアする
  • LINEでシェアする

フォローする

  • facebookでフォローする
  • twitterでフォローする