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更新日付:2025年10月1日 

知事コラム(2025年10月)

ガレキの中の希望

この世に地獄があるとすればここだと思った。

2011年4月。当時、国土交通省まちづくり推進課の課長補佐として、岩手から宮城北部の被災市町村を巡った。復旧や復興の新規の予算説明のためだったが、想像以上の被災地の様子に言葉と現実感を失った記憶は、色褪せることはない。

そこにあるはずの街が壊滅し、岸壁のように海とつながる。流された漁船が廃墟となった建物の屋根の上に乗っかっている。捻れてひしゃげた車が川沿いに転がる。うずたかく積もったガレキの壁が運転する車の左右に覆い被さる。車を降りれば焼けこげた匂いとともに、建物に大きく赤い字でバツの字が連なって見える。地面には、位牌、ランドセル、家族写真、生活のかけらが点在している。

2万人もの命が一瞬にして失われた各地で、手を合わせることすらできなかった。大規模な自然現象を前にして、人という存在の小ささをその時ほど感じたことはない。ご遺体が収容されている体育館の横を通過した時、肉親を探す人たちがひっきりなしに出入りし、入口付近で慟哭する姿も垣間見た。

この体験が、私の防災に対する認識の原点だ。

青森県も同様の危機に直面している。日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震・津波だ。全国の被害の最大想定は死者数約20万人で、実にこれは東日本大震災の10倍となる。全壊棟数も約22万棟と想定されているが、いずれも現実感はない。だけれども起こる可能性はある。私が大学生の頃から今後20年以内に宮城県沖で大規模な地震が起こる可能性が大変高いと言われていた。そして、20年以内に東日本大震災が起こった。

「自分だけは大丈夫」、これだけは変えなければならない。「自分こそ危ない」、その心構えこそ、東日本大震災の最大の教訓だ。私はあの地獄の景色の中に希望を見出すことはできなかった。ただ、復興した、あるいは復興途上の被災地を訪問すると、14年の進展に希望を感じている。そこには2万人の犠牲があったことを忘れてはならない。

青森県は、市町村と連携して備えを強化します。皆さまも、それぞれの備えの強化をお願いします。そこにこそ希望があるからです。

追伸:7月のカムチャツカ半島付近の地震では、多くの方が避難してくれました。現地の皆さまに心からお見舞いを申し上げますとともに、対応してくださった全ての皆さまに感謝申し上げます。皆さまが無事で本当に良かった!!


(AOMORI MAG(あおマグ) - 2025年10月号)

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