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更新日付:2008年8月27日 地域生活文化課

青森県史の質問箱03

青森県の誕生

Q1 青森県誕生の前に弘前県があったのは本当ですか?


A1 近現代部会担当の中園裕がお答えします。

 政府は当初、弘前県を設置して弘前を県庁所在地にしようとしたのですが、すぐ青森に県庁を移し、結果的に青森県と改称しています。
 1871(明治4)年7月14日の廃藩置県で、全国の藩が消滅して県が設置されました。このとき青森県域には、津軽領に弘前藩と黒石藩、南部領に八戸藩、七戸藩、斗南藩がありました。これらの藩が県と名前を変えて成立しています。なお、斗南藩は明治政府に最も抵抗した会津藩士の人々が移されてできたものです。
 しかし、これらの県は藩の時代から財政が厳しく、とても県を維持できませんでした。そこで斗南県の広沢安任らが、内務卿の大久保利通に建議し、その結果、5県と館県(北海道松前藩)が合併し、弘前県が誕生したのです。県に名称が変わったとはいえ、津軽領と南部領の諸藩を合併するという試みは、当時としては相当思い切った政策といえるでしょう。
 6県が合併して新しく弘前県が誕生したのは、1871年の9月4日です。館県と斗南県が合併していますから、当時の青森県は北海道の松前半島の一部と現在の二戸市を含んでいたことになります。
 けれども、政府が青森県に派遣した初代知事の野田豁通(ひろみち)は、9月23日に県庁を青森町(現青森市)に移してしまいます。北海道や下北半島まで広がる大きな青森県を治めるには、県の中心に位置し、海に面した青森町が最適だったからでしょう。弘前藩士の抵抗を避けるという理由もあったかもしれません。
 詳しくは、『青森県史資料編近現代1 近代成立期の青森県』を参照ください。第1章「青森県の誕生」に詳細な資料と解説を載せております。

Q2 青森県庁は最初、どこに建てられたのですか?

A2 近現代部会担当の中園裕がお答えします。

 青森県庁舎は、明治4年(1871)の廃藩置県で青森県が成立して以来、一貫して同じ位置にあります。ただし庁舎自体は何回か立て替えられており、現在の県庁舎は第5代目となります。
 初代の県庁は明治4年に弘前藩のお仮屋(おかりや)を改築したものです。その後、明治15年(1882)、近代国家の県庁として相応しい洋館の建物に建て替えられます。
 しかし2代目の県庁は昭和20年(1945)7月28日の空襲で焼失してしまいます。焼け跡にはバラック状の県庁舎となります(3代目)。その後、昭和23年(1948)に、4代目の県庁舎が建てられ、ようやく昭和36年(1961)に現庁舎が誕生することになります。
  • 御仮屋
       県庁舎内にある御仮屋跡の石碑
    (1972〈昭和47〉年・県史編さんグループ所蔵)

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