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更新日付:2014年3月28日 県民活躍推進課

青森県女性ロールモデル 猪股環さん

あまり「こうだから」とか「こうするべき」とか気張らずに、まず自分の仕事のしやすさや面白さを求めてみてはいかがでしょうか。

猪股環さん
株式会社青森銀行土手町支店 支店長
猪股 環さん(青森市)

【プロフィール】
 株式会社青森銀行に入行後、人事部研修課を経て審査部にて融資業務トレーニー。人事部では、女性行員による女性活躍推進チーム「スタンザ」で活動を続ける。その後、本店営業部、観光通支店、合浦公園通支店にて支店長代理を務める。平成17年に個人部に異動し、投資信託・保険に関する研修や人材育成を担当。平成21年に八戸ニュータウン出張所の開設に携わり、初代所長を務めた後、平成23年に営業統括部の副部長に就任。平成26年4月より土手町支店の支店長を務める。
 一級ファイナンシャルプランニング技能士の資格を有し、個人住宅ファイナンスなどの講演も行っている。

猪股環さんの主な分野 「就業・キャリアアップ」

チャレンジのきっかけは?

戸惑いの監督職

 本店営業部で監督職といういわゆる管理職のような立場に就いたのが、平成9年のことで、そのときの私は30代前半でした。営業をやったことがない人間が、営業部に行っていきなり監督職になったので、最初は戸惑いの連続でした。正直、それまでの業務とは全く異なっていたので転職したような感じでしたね。それに、一緒に働く仲間はベテランばかりで、仕事ができない自分が情けなく結構辛かったですね。

 監督職という役職がついていたので、「これどうしますか」と判断を求められるのですが、全然分からないのですよ。決まり事に書いてあるようなことは事務規定を見ればなんとか処理できるのですが、いわゆるグレーゾーンな部分こそ判断を求められます。そのグレーゾーンについては全く経験値がないので、私は「今までどうしていましたか」としか聞けませんでした。それどころか、当時は営業の仕事が分からなかったので、「これどうするんですか」と自分から先輩たちに聞いたりしていました。監督職でしたが、その先輩たちは私の先生でしたね。

判断を求められるということ

 本店営業部に来る前、人事部では、10年間も同じような仕事をしていたので、自分の担当の仕事はもうほとんど分かっている感じでした。そこに新しく転勤してきた上司に「これどうしますか」と判断を仰ぐと、「今までどうしていたの」と逆に尋ねられることがありました。私はそれが嫌だったのですが、自分が営業部の監督職に就いたときに、初めてその上司の気持ちが分かりましたね。「こういうことだったのか」と思ったのです。判断を求められるとはこういうことか、原理原則をベースに経験の積み重ねから導き出されるものが「判断」なのだな、と感じました。

これまでのみちのり

男女共同参画の波

 私は昭和61年に青森銀行に入行しました。昭和61年というと、ちょうど男女雇用機会均等法が施行された年だったので、当銀行でも「女性の活用」について考え始めた時期であり、男女共同参画の第一の波とも言える時代でした。

 最初の10年と6ヵ月間は、人事部の研修課というところにいました。社員研修の仕事も担当していましたが、お茶汲みやコピー取り、雑用も多くこなしているような状況でした。やはり当時は男性の仕事と女性の仕事に大きな差がありましたね。大学時代は男女関係ないという意識を持っていたので、会社に入ってからこれほど差があるのかと軽くカルチャーショックを受けたような感じでした。

 そのような風土だったので、昭和61年に男女雇用機会均等法ができると、役員から「女性の活用について考えなさい」という指示が下りてきました。若手の女性で何ができるかを考えましょうということで、とりあえずプロジェクトチームを作ったのです。女性たちはいろんな問題意識や意見を持って仕事をしていたのですが、なかなかそれを発信できない環境だったので、まずは女性の不満を吸い上げるところから始めました。

 「不満」は「意見」でもあるので、そういったものをまず吸い上げて女性の視点から変えられる部分を変えていけば、自分たちの意見が通ったということで女性たちのモチベーションアップにもつながると思ったのです。

「スタンザ」の設立

 意見の吸い上げでは、ベテラン女性行員だけでなく20代の若手女性行員からの意見もたくさん出ました。そこで、一度、集まった意見を「女性の意見」として常務会に答申しました。すると、「組織体を作って活動してみたら」という話になり、それがきっかけで昭和63年に「スタンザ」という女性の活躍や活用を考える組織を作ったのです。

 各店舗に1名ずつ「スタンザ」のリーダーを選任していただいて、その方たちを通して女性の意見を吸い上げるということをしました。1ヵ月に1回、支店の女性の意見を持ち寄ってもらい、そこから「何が改善できるか」「業務で何ができるか」といったことを話し合いました。

 「スタンザ」の活動に理解を示してくれる上司ももちろんいましたが、それでも全体的には、「女性に何ができるんだ?」という上司が多かったように思えます。「スタンザ」の会議をするために仕事を抜けてくるわけですが、当時の職場では女性がそういうことをすることはあまりないのです。男性行員に比べて女性行員は研修も少なく、他店の行員と交流する機会もほとんどなかったので、中には「女性だけ優遇されている」と言う人もいました。

外を変えたら中身も変わる

 そんな中で、最初に意見として上がってきたのは自分たちの制服を変えて欲しいというものでした。当時は、女性行員のほとんどが制服に不満を抱いていましたし、身だしなみについても今ほどは気を配っていませんでした。
制服を変えたら仕事への気持ちもきっと変わるよねということで、3年ぐらいかけて制服を変えていきました。また、制服を変えたなら外見や態度も見直すべきだいうことで、接客態度やメイクの仕方、歩き方などに関する研修も女性を対象に行っていきました。

 徐々に女性たちの中からも「私たちも輝きたいよね」とか「きれいになりたいよね」といった意見が出てきましたし、女性の仕事への取り組む姿勢については前々から上司たちも気にしていたようなので、制服を変えたことで女性たちや上司の意識も少しは変わっていったのではないかなと思います。

 「スタンザ」に対して周囲の男性行員たちの反応はあまり良くはありませんでしたが、それでも今思えば、「スタンザ」という組織で女性の活躍を後押しするような企画や制度を進めていったことで、少なからず女性に変化が現れていったのではないかと思います。

営業、研修、新店舗立ち上げを経て

 人事部に所属し、「スタンザ」の活動を7年間ほど続けた後は、半年間だけ審査部にいて融資業務の研修を受けました。その後は初めての営業店勤務ということで3ヵ店ほど経験しました。外回りの仕事をしたり、融資業務についてさらに勉強したり、窓口の後ろで様々な手続きや業務のチェックを行ったりしました。監督職に就いていたのがこの時期です。それから営業統括部の前身でもある個人部に異動し、そこで投資信託や保険に関する人材研修を担当してから、八戸ニュータウン出張所という、個人のお客さま向けの相談業務に特化した少し変わった店舗の開設に携わりました。そこでは初代所長を務め、平成23年の3月まで店の基礎作りをしていました。そして、平成23年の4月から営業統括部で副部長を、平成26年の4月から弘前市の土手町支店の支店長を務めさせていただいています。

現在の活動状況や今後の目標など

「なぜ女性は会議に入ってはいけないのか」

 入行した頃は、人事や昇進の部分でかなり差別されているなと感じました。女性が長く勤めるという概念がありませんでしたから、例えば家を建てるためにお金を借りるとき、「本当にローンを組んで返していけるの?」という感じで、女性は一歩引かれるような部分がありました。

 昭和56年くらいから大卒女性を採用し始めてきたのですが、それでも毎年1人か2人くらいの採用数でした。おそらく当時は、採用したものの、高学歴の女性をどう扱っていいのか分からなくて困惑したのではないかと思います。

 結構ショックに感じたのが、課内会議のときに「会議中電話番をしていなさい」と言われたときですね。3回くらいそういう出来事があり、「なんでだろう」と思いました。電話番をしていても私が答えられるような内容ではないので、「私が会議に入っちゃいけないんですか。電話を取っても答えられないんです」と正直に上司に言ったのです。上司たちは「女性を入れない」と思っているのではなくて、「入らないのが普通」だと思っていたようで、「なぜ女性が会議に入ってはいけないのか」という根本的な部分に気がついてなかったのです。だから、私が上司に尋ねたとき、上司は「あぁ、そうか、よく考えたらそうだよな。じゃあ会議に入りなさい」と言ってくれました。

 幸いなことに、私の先輩や上司には「女性だから、男性だから」という部分がなく、厳しく優しく仕事を教えてくれました。仕事に関しても「女性だからやらせない」ということは全くありませんでした。

素晴らしい女性はたくさんいる

 私が女性の職域を積極的に広げていったというわけではありませんが、なんらかのきっかけにはなったのではないかなと思います。男女雇用機会均等法もできましたし、「男女に関わらず、能力のある人間を登用しよう」という経営者の考えがあったので、結果的に女性の管理者が増えてきたのだと思います。

 そうは言っても、その当時、どの女性がどういう人材なのかという情報も人事部にはなかったので女性登用の仕様がありませんでした。それに、「あの女性はいい人材だから昇進させてくれ」と支店長が言うこともほとんどありませんでしたし、まず男性を昇進させることが普通でしたので女性登用について人事部の方ではどうしたらいいのか分からなかったのだと思います。それでも、経営者が「ちゃんと実力のある女性も活用しよう」と人事部に指示を出していましたから、人事部で「誰かいないか」と探してみたときに、スタンザのような活動をして頭角を現していた人が何人かいたので、その人たちをピックアップできたのでしょう。スタンザという組織の内外に関わらず、やはり素晴らしい女性の先輩はたくさんいたのです。何事も前向きに捉え、意見を出し続ける方たちでした。そういう人たちはやはり当時の私から見ても輝いていましたし、その後も支店長などの役職に就いていました。

コミュニケーションの頻度

 男性の管理職と私とで違う部分があるとすれば、部下とのコミュニケーションの頻度ですね。一人ひとりとのコミュニケーションの頻度が高いので、ときにはおしゃべりのようになってしまうこともあります。会話が弾みすぎて「これではだめだな」と思うこともたまにありますが、コミュニケーションが全くないというよりはいいですよね。自分に男性の上司がいたときは、「言われないのに進んでいろんな仕事をする=仕事ができる」みたいな部分があったので、暗黙のプレッシャーのようなものを感じていました。それも踏まえつつコミュニケーションを取るように心がけているので、部下も少しは意見を言いやすいのではないかなと思っています。

 また、部下には面白く仕事をして欲しいです。何かをやらされている感じだとか、会社に来るのが嫌だなとか、そういう気持ちで仕事をするのではなくて、厳しいときもあるからまるっきり楽しくとは言えないかもしれないけれど、自分の仕事に何か意味を見出して、そして面白さを見つけて仕事をして欲しいと思っています。

これからチャレンジする女性へのメッセージ

まずは自分の仕事のしやすさや面白さを求めて

 女性行員の制服が変わった当時は、「なんだか女性だけが元気があって、男性の元気が少ないな」と言われていました。今でも、新入行員が入ってくると「男性はみんな草食系で、女性の方が元気がいいね」と言われることがあります。元気のいい女性たちがずっとそのままでいられて、そして失望して仕事を辞めないように働きかけることが大事なのだと思います。

 結婚したり出産したりする段階で、「家事育児と仕事の両立が難しい、面白くない」と思えば、女性は無理して勤め続けようとは思いませんよね。そうなるとせっかくの素晴らしい人材が辞めることになってしまい、会社にとってももったいない状況が生まれてしまいます。

 経営者や上司、いわゆるトップの考えの理解も重要ですが、まずは自分が面白く仕事できるような環境を見つけたり、自分の中にスキルを蓄えていったりすれば、役職ややりがいのある仕事が後からついてくるのではないかなと思います。あまり、「こうだから」とか「こうするべき」とか気張らずに、まず自分の仕事のしやすさや面白さを求めてみてはいかがでしょうか。

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