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更新日付:2016年7月15日 りんご果樹課

青森りんごの発展に功績を残した代表的な人物

 明治8年、たったの3本から始まった、青森りんごの栽培。 農商務統計表によると、明治42年に北海道を栽植本数が上回り、全国一位になりました。
 130年を経た今、日本一の生産を誇り世界一の品質と言われるまでになりました。
 もちろん、青森りんごを応援してくれる消費者があってこそですが。

 ゼロから始まったりんごをここまで大きくできたのは先人たちの努力があったためです。
 代表的な次の5人の方を紹介します。

黎明期(明治初期)

写真:菊池楯衛
菊池楯衛(きくちたてえ)(1846~1918)

 りんご栽培の最初の苗木配布者及び試植者で、青森りんごの開祖といわれています。
 青森県にりんご栽培が適することを確かめ、りんごの栽培技術を広めて、本県がりんご主産地になる基礎を作りました。
 もともと旧藩時代から果樹や花卉の栽培に熱心で経験をもっていたことが、西洋りんごの将来性を見抜き、これに傾倒していく素地になったと考えられています。

興隆~衰退期(明治中期~戦前)

写真:外崎嘉七
外崎嘉七(とのさきかしち)(1859~1924)

 明治中・後期の病害虫多発期に、樹形改造、袋かけ、ボルドー液散布などの普及に努め、りんごの神様と慕われました。りんご危機克服の大号令者です。
 大正10年に弘前市で開催された緑綬褒章拝受祝賀会には、500名もの人が集まったそうです。

衰退~復興期(昭和20年代~昭和40年代)

写真:木村甚彌
木村甚彌(きむらじんや)(1901~1982)

 昭和4年、農事試験場園芸部に技手として就任以来40年間、他に転任することなく一生をりんごの病理とその防除法に取り組んで、病害防除体系を築き上げました。
 青森県りんご試験場でりんごの病害研究に従事していた当時は、風土病といわれたモニリア病の解明や防除法の確立に貢献しました。また、昭和27年から45年までりんご試験場長を務め、りんご病害虫防除やわい性台木の導入などに尽力しました。

復興期(戦後~昭和40年初期)

写真:澁川傳次郎
澁川傳次郎(しぶかわでんじろう)(1898~1991)

 青森りんごの戦後復興の祖と言われ、第二次大戦で荒廃したりんご園を復興するため、先頭に立って運動し、りんご生産者で組織する「青森県りんご協会」を設立しました。
 剪定講師として各地を周り、大勢の生産者がその技術を学びました。

新時代へ(昭和40年代~)

写真:齋藤昌美
齋藤昌美(さいとうまさみ)(1918~1991)

 昭和30年、青森県の農林省園芸試験所東北支場で開発された「東北7号」(のちの「ふじ」)の普及に努めました。
 青森県では、「ふじ」の着色があまり優れないことから最初は増殖に踏み切りませんでしたが、東北市場から依頼された対馬竹五郎とともに、その味覚の良さから国光に代わるべき品種として確信したのです。

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りんご果樹課・企画管理グループ
電話:017-734-9489  FAX:017-734-8143

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