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更新日付:2016年7月8日 りんご果樹課
青森りんごの歴史:明治
明治8年4月に内務省勧業寮から配布されたりんごの苗木3本が県庁構内に植え付けられたのが、青森りんごのはじまりです。
この時代は、競うようにりんごが植栽され、大規模りんご園も誕生し始めました。鉄道の開通もあり、明治25年には神田の問屋でりんごを取り扱いし始めました。
農薬の効力もまだ乏しく、病害虫との格闘だったようですが、袋かけ栽培や木洗いで克服しました。
この時代は、競うようにりんごが植栽され、大規模りんご園も誕生し始めました。鉄道の開通もあり、明治25年には神田の問屋でりんごを取り扱いし始めました。
農薬の効力もまだ乏しく、病害虫との格闘だったようですが、袋かけ栽培や木洗いで克服しました。
年次 | 歴史的事項 |
---|---|
明治8年 (1875年) |
4月内務省勧業寮から 本県県庁にりんご苗木3本配付。 |
〃 | 米国人宣教師ジョン・イング師が、キリスト降誕祭で教え子や信者達に分与した「りんご」が西洋りんごとして初めて本県に紹介される。 |
明治10年(1877年) | 弘前市在府町養蚕家山野茂樹が屋敷畑(現在の弘前大学医学部)に試植したものに初めて結実し、8月15日採取。 |
〃 | 北海道開拓使農場で接木法を習得した菊池楯衛らが「化育社」を結成し、苗木の生産・販売を行った。 |
明治13年(1880年) | 明治8年4月に県庁構内に試植したりんご及び各篤農家に配付した苗木はいずれも結実。 |
明治17年 (1884年) |
弘前の旧津軽藩士族が1ヘクタール以上の果樹栽培者11名で「果樹会」を結成。 |
明治19年 (1886年) |
藤崎村(現在の藤崎町)佐藤勝三郎社長による「敬業社」が生まれ、7.5ヘクタール開園。 |
明治20年 (1887年) |
黒石郊外山形村(現在黒石市)興農株式会社誕生、10ヘクタール開園。これが現在の青森県りんご試験場。 |
明治21年 (1888年) |
弘前市本町に津軽産業会が生まれ、大正4年まで毎年物産品評会開催。 |
明治23年 (1890年) |
盛岡市まで鉄道開通。津軽産業会が「苹果要覧」を出版して栽培出荷販売等の指導に当たる。 |
明治24年 (1891年) |
上野、青森間鉄道開通。 |
明治27年 (1894年) |
京都博覧会で受賞者を出し「青森りんご」の評価高まる。青森、弘前間鉄道開通。 |
明治32年 (1899年) |
青森の果実商堀内喜代治、 ロシア領ウラジオストック港へ直輸出。 |
明治33年 (1900年) |
モニリア病大発生 、中郡清水村(現在弘前市清水)で皆無作。 |
明治34年 (1901年) |
りんご酒醸造販売。 |
明治35年 (1902年) |
綿虫、シンクイ虫、腐らん病等病害虫発生。明治初期の栽植樹、病害虫のため伐採。 |
明治36年 (1903年) |
県農事試験場に害虫係が設けられ、りんご害虫の試験が開始。 |
明治38年 (1905年) |
りんご袋掛けが始められ 、恐慌を切り抜け、再び増殖時代に入る。 |
明治39年 (1906年) |
津軽林檎輸出組合設立。上海に直輸出。 |
明治40年 (1907年) |
産業組合法によるりんご生産購買販売組合が設立、後年のりんご販路拡張の基礎となる。 |
明治41年 (1908年) |
青森、神戸間でりんごの冷蔵貨車輸送試験を実施。津軽を中心にモニリア病が大発生。 |
明治44年 (1911年) |
県農事試験場に病理部設立。販路拡張費補助規程設定、海外輸出者に県が補助奨励。 |