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更新日付:2013年1月25日 三内丸山遺跡センター

連載企画『縄文遊々学』

第68回 「縄文人とヘビ」

 今年は十二支の巳年、いわゆるヘビ年です。世界各地の先史文化には、ヘビは再生や豊穣のシンボルとされ、太古から信仰の対象になっていたものもあります。
 縄文文化でも土器にヘビを表した模様が付けられた土器が中部高地から出土していることがよく知られており、やはり信仰や畏怖の対象となっていたようです。
 本県の縄文遺跡では、福田友之さん(県文化財保護審議会委員、考古学)の集成を見ると、少なくとも5遺跡から出土しているようです。八戸市の史跡長七谷地貝塚では早期、東北町東道ノ上(3)遺跡では前期、三沢市猫又(2)遺跡では中期、そして階上町滝端遺跡、同寺下遺跡では後期のヘビの骨が出土しています。非常に小さな骨ですので、発掘現場では見逃してしまう可能性もあり、実際はもっと多くの遺跡から出土している可能性も考えられます。一方、動物の骨や植物の種子など多くの有機質遺物が出土した特別史跡三内丸山遺跡では、それらが出土した低湿地の土壌を全て回収し、フルイを使って水洗選別をしていますがヘビの骨は全く見つかっていません。あるいは以外と少ないのかもしれません。
 注目されるのは滝端遺跡、寺下遺跡ともに土器の中から出土していることです。滝端遺跡では完全な形の注口土器の中に、蛇1匹分にあたる椎骨と肋骨など計548点の骨が入っていました。体長1m以上もあるアオダイショウではないかと見られています。寺下遺跡では小型の壺型土器の中にやはり2匹分の骨が入っており、毒牙があることからマムシと考えられています。どちらも小型の土器であり、偶然入り込んだとは考えられず、やはり意図的に入れたものと考えるのが自然なようです。となりの岩手県の野田村根井貝塚でも小型の下半部に小さな穴がある壺型土器から2匹分の骨が出土しています。頭の骨はなく、ぶつ切りされた可能性が考えられています。やはり何らかの目的のために入れたようです。
 この三例ともにヘビが入っていた土器の用途は液体を入れるためのものと考えられます。現代ですと即座に「マムシ酒」と言いたいところですが、入っていたのはマムシだけではないようですし、肉を食べた後に骨だけを入れたことも考える必要があります。ただし、縄文時代にも酒があった状況証拠はかなり見つかっていますので、想像たくましくその酒に漬けた可能性もあります。
 このヘビ入りの土器はいずれも縄文時代後期後半のものです。ちょうど縄文人が寒冷化に見舞われた時期の可能性があります。寒冷化により森の恵みが減少する、不安定になるなどして、豊かな森の恵みを祈念した、その切なる願いに使われた道具や「ヘビ酒」だったのかもしれませんし、ヘビを再生や豊穣のシンボルとする祭祀が東北北部にあったことも考えられます。
  • ヘビの骨とそれらが入っていた土器
    ヘビの骨とそれらが入っていた土器(階上町滝端遺跡、後期)
  • 中に入っていたヘビの骨
    中に入っていたヘビの骨
※『あおもり縄文展~JOMONを世界へ、三内丸山からの発進~』より転載

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