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更新日付:2012年10月23日 三内丸山遺跡センター

連載企画『縄文遊々学』

第64回 農耕と栽培

 現在4道県で作成中の世界遺産登録推薦書案の中では、縄文文化は本格的な農耕と牧畜を持たないとしています。しかし、注意しなければならないのは縄文時代にすでに栽培はあったということです。各地の縄文遺跡からはヒョウタン、ゴボウ、アサ、エゴマ、ゴマなどの栽培植物の種子が出土しています。
 もともと野生種に人間が関わることで突然変異がおき、栽培種へと変化します。ただこの変化は種によっては長い時間を必要とするものとそうでないものがありますし、人間が関わっても大きく変化しないものがあるようです。
 栽培種は野生種に比べて種子(可食部分)が大きく、脱粒性が弱くなり、発芽可能な期間も短くなるなど、人間が管理し、収穫するのに適した性質を持つことになるわけです。しかし、このことは逆にその種が滅んでしまうような状況をもたらすことになりかねないとも言えます。種をまき、一斉に発芽する時期を迎える、あるいは発芽直後に急激な気候の変化、例えば雪が降るとか、低温とかなどの原因によって全てが枯死することも考えられます。もちろん、そのような危機を回避するための知恵といったものも人間は持っていたとは思いますが。
 栽培種はさらに人間生活に適するように、そして生産性向上のための品種改良が行われます。イネ(コメ)は約8000年前に揚子江下流域で栽培種が生まれ、朝鮮半島を経由し今から二千年以上前に日本列島に伝わったとされています。現在まで何度も品種改良が行われてきたことでしょう。寒さに強いイネも開発されましたが、私の記憶では過去30年間で深刻な冷害を2回ほど経験しています。地域によっては皆無作というところもありました。二千年以上の時間と労力をかけ、その当時の先端技術を注いでも気候の変化には対応しきれないことがあるわけです。
 イネを研究している農学者の佐藤洋一郎さん(総合地球環境学研究所)は、イネの野生種と栽培種では、その収穫量に大きな違いがない年があることを教えてくれました。もちろん、長期間では圧倒的に栽培種の方が安定して収穫量が多いわけですが、時には野生種もそれなりに実りが多いことがあるということです。このことを見るとそもそも栽培とは何かということを考えずにはいられません。人間がイネ(コメ)を選んだ理由は食品として優れており、貯蔵にも適していることなどが考えられますが、もうひとつ政治的に利用や管理しやすいこともあったのかもしれません。作業に多くの労力を必要とするイネ(コメ)を選択することは、社会の中で圧倒的に多い農民層に蓄財させない、時の為政者にとってとても都合の良いものであり、税金を課す際の目安となる収穫量も把握しやすかったことでしょう。
  • 栽培されたものと考えられているヒョウタンの種子(三内丸山遺跡)
    栽培されたものと考えられているヒョウタンの種子(三内丸山遺跡)


  • 当時栽培された可能性が高いエゾニワトコ
    当時栽培された可能性が高いエゾニワトコは、現在も三内丸山遺跡内で見ることができる

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