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更新日付:2012年12月17日 三内丸山遺跡センター

連載企画『縄文遊々学』

第66回 現代のストーンサークル

 最近、県内の史跡となっている縄文遺跡を巡る機会が多くありました。何度も訪れていますが、それでも毎回新しい発見があり、やはり遺跡の持っている価値や魅力の質の高さに驚かされます。
 その中で、気になる遺跡というか、正確には遺跡ではありませんので、正しくは場所があります。それは東津軽群外ケ浜町の大平山元I遺跡の出土品が展示されている、大山資料館わきの空き地です。大平山元I遺跡は縄文時代草創期の遺跡で、日本最古の土器が出土したことで知られており、現在史跡指定に向けて準備が進められています。近々史跡指定を受けるものと期待しています。
 その空き地(大山資料館はかつて小学校でしたので、そのグラントと思われます)になんと立派な環状列石があるのです。そっくりというよりも縄文時代のものよりも立派だと言っていいでしょう。これは現代アートの作家によって作られたとのことで、河原から適当な石を選び、トラックで何度も運び人力で並べたそうです。
 最初に見たときには正直違和感を憶えました。それは遺跡とは違い、本来環状列石あろうはずもない場所にあったからです。絶対に造らない場所と言ってもいいでしょう。縄文人は石を単に並べるためにその場所を選んだのではありません。実際の遺跡では、わざわざ何キロも離れたところから石を運んできたり、沢から丘陵の上に運び上げたりしています。効率性を考えのではなく、あえて苦労する、手間をかける道を選択したのです。石を並べるその場所にも当然大きな意味があり、眺望が開け、遠くに山が見えるその場所を選んだわけです。
 ですから環状列石は短期間で完成することはなく、数百年という気の遠くなるような時間をかけて造られています。あるいは完成していない、そこで人々の営みが続く限り、常に環状列石も作り続けられた可能性があります。永遠の未完成と言えるかもしれません。
 大山資料館の環状列石を見たときに、そういった縄文人の価値観、世界観を知っていたり、感じていたりしたら、今とは違う環状列石になったのではないかと思った次第です。完成形ももちろんですがむしろその途中経過やプロセスにも大きな意味を感じて欲しいと思います。形よりも苦労してまでも造る縄文人の心や世界観、価値観にせまるアプローチができないかと、縄文をテーマにしたアートを見るといつも思ってしまいます。
  • 現代のストーンサークル

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