ホーム > 組織でさがす > 教育委員会 > 三内丸山遺跡センター > 連載企画『縄文遊々学』

関連分野

更新日付:2014年4月28日 三内丸山遺跡センター

連載企画『縄文遊々学』

第80回 縄文人とサクラ

 4月になっても雪が降るなど青森では寒い日が続いていましたが、最近暖かい日や穏やかな天候が続いているせいか、職場近くの街路樹のサクラも咲き始めました。日本一のサクラの名所弘前公園も桜祭りが始まり、満開の見頃を迎えています。

 古くから、古典の世界ではウメ(梅)やフジ(藤)がよく知られています。『万葉集』ではウメを題材にした多くの歌が詠まれていますが、ウメは渡来した植物であり、日本列島起源ではないとされています。
 平安時代後半以降国風文化の隆盛とともにサクラに関する記録が多くなり、日本を代表する花となるとされています。文字で記された記録以前となると、遺跡からの情報が貴重な手がかりとなりますが、それによると縄文人もサクラを楽しむことができたようです。ただ、現在の私達と同じように花見に出かけたのか、まではわかりませんが。

 サクラと言えば現代ではソメイヨシノがよく知られていますが、縄文時代にあったのは、野生種であるヤマザクラ(山桜)です。現在のサクラは品種改良されたもので、縄文時代にはありませんでした。
 4月末頃から青森県ですと少し郊外に出かけると、新緑の木々の中に点々と薄いピンクの花が開いたヤマザクラを観ることができます。鮮やかな緑と対照的ですのでよけい鮮やかに見えます。弘前公園のように満開のサクラも迫力があり、素晴らしいですが、遠くから見えるヤマザクラも風情が感じられます。ちなみにサクラと言えば吉野が有名ですが、これもヤマザクラです。

 三内丸山遺跡では遺跡北側の沖館川に面した低湿地である第6鉄塔地区の低湿地から、約5500年前のヤマザクラの炭化材が実際に出土しています。出土した炭化材の新鮮な割れ口(木口面)を実体顕微鏡で観察し、鈴木三男さん(東北大学名誉教授)らによって樹種が同定されました。おそらくはムラ周辺の林から調達され、燃料として使用されたのではないかと推測されています。
 三内丸山遺跡では「縄文のたたずまい」の復元を目指し、遺跡公園内には縄文文化と関係する主に落葉広葉樹による森が設定されており、縄文時遊館や遺跡東側には野生種の桜であるオオヤマザクラが植樹されています。毎年、ゴールデンウイークの頃にはピンク色の美しい花を咲かせています。オオヤマザクラは花がヤマザクラより大きく、大樹になりやすいことから各地の公園や街路樹としてよく植えられています。
 縄文人は豊かな自然の中で、自然とともに生きていました。季節の移り変わりにも敏感であったと思われますので、当然ヤマザクラが咲く頃も楽しみにし、あるいは山菜など森の恵みが出始める兆しとして心待ちにしていたのかもしれません。
  • 三内丸山遺跡のオオヤマザクラ
    咲き始めた三内丸山遺跡のオオヤマザクラ(永嶋豊さん撮影)

関連ページ

この記事についてのお問い合わせ

三内丸山遺跡センター
電話:017-782-9463  FAX:017-781-6103

この記事をシェアする

  • facebookでシェアする
  • twitterでシェアする
  • LINEでシェアする

フォローする

  • facebookでフォローする
  • twitterでフォローする