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更新日付:2014年4月21日 三内丸山遺跡センター

連載企画『縄文遊々学』

第79回 縄文時代にウマはいたのか?

 今年は午年(うまどし)であることからか、「三内丸山遺跡からはウマの骨は見つかっていないのか」という質問を何度か受けています。三内丸山遺跡では数多くの動物の骨が見つかっているので、その中にはウマの骨もあるだろうと思っている方も少なくないと思います。
 しかし、三内丸山遺跡ではウマの骨は見つかっていません。というよりも全国の縄文時代の遺跡からもウマの骨は見つかっていません。つまり、縄文時代の日本列島には家畜としてのウマも、野生種のウマもいない、というのが専門家の一致した見方です。

 以前、むつ市の最花貝塚でウマの骨が出土したことが報告されていました。最花(さいばな)貝塚はむつ市田名部に位置し、青平川左岸に立地する今から約4200年前の縄文時代中期後半の遺跡です。この時期に盛行する最花式土器の標識遺跡でもあります。下北半島で最大規模の貝塚とされており、昭和20年代前半から慶応大学や地元研究者によって発掘調査がおこなわれ、貝塚は標高約25mの河岸段丘上に4ケ所ほど形成されていることなどが判明しています。また、伸展葬で埋葬された2体の人骨も見つかっています。貝は汽水域に棲息するヤマトシジミがほとんどであり、魚骨や動物骨も多数出土しています。
 出土品の中にウマが含まれているとされていましたが、最近では新しい時代の骨が混入したものと考えられています。同様に愛知県の縄文時代の貝塚で出土したウマの骨も詳しく検討された結果、やはり新しい時代のものと判定されています。縄文時代の貝塚に詳しい西本豊弘さん(元国立歴史民俗博物館、動物考古学)によると、縄文時代に日本列島にウマがいたとする明確な証拠がない、としています。旧石器時代の動物骨が多数出土したことで知られる岩手県金森遺跡からウマの骨が出土していますが、西本さんは大きさからやはり後世のものと考えています。野生のウマも日本列島にはいなかったようです。ちなみに弥生時代の遺跡からも飼育されたウマの骨は出土していません。

 現在のところ、日本で確実な最も古いウマの骨は4世紀ころの古墳時代の遺跡から見つかっています。ということはその時代に大陸から持ち込まれたものと考えるのが自然です。当時のウマは現在のサラブレッドよりも小型で、大陸のウマと特長が似ているとされています。

 現在、私達が見ている動物には縄文時代にすでに日本列島に棲息するものもありますが、ウマやウシ、ニワトリなどは弥生時代以降に大陸や朝鮮半島経由で持ち込まれ、日本列島に定着したものも少なくないと思われます。
  • 最花貝塚遠景
    最花貝塚遠景(『青い森の縄文人とその社会』青森県教育委員会1991)
  • 最花式土器
    三内丸山遺跡から出土した最花式土器

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三内丸山遺跡センター
電話:017-782-9463  FAX:017-781-6103

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