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更新日付:2012年2月15日 三内丸山遺跡センター

連載企画『縄文遊々学』

第57回 ホネの思い出

 昨年、五所川原市市浦に所在する五月女萢(そとめやち)遺跡から縄文時代の墓が見つかり、中から保存状態の良い人骨が出土したことが報道されました。湿度が高く、酸性土壌の多い日本では遺跡から人骨が出土することは珍しいと言っていいでしょう。

 私が初めて実際に人骨を手に持ったのは学生時代のことでした。実習の際、研究室の標本の中にあった人骨について、形質的な特徴や動物骨と違いなどの講義を受けました。その時は講義ということもあり、普通に何も気にすることなく淡々と観察をしたことを覚えています。
 
 その後、旧倉石村薬師前遺跡から、縄文時代の人骨が見つかったとの知らせが恩師である村越先生のところへ届き、調査指導へ出かける先生のお供を命じられ、同行することになりました。人骨は埋葬専用の土器棺に入っており、ひとつの墓穴から3個まとまって出土していました。そのうちの一個の土器が、長芋の耕作の際に使用するトレーチャーに引っかかっために見つかったものです。中の頭蓋骨も見事に半裁されていました。
 
 その中の倒立した土器を取り外したところ、中から大腿骨などの太い骨が顔を出していたことから、まわりを石膏で固めながら土ごと切り取り、日をおいて室内で人類学の専門家の指導のもと、慎重に精査を行うことになったわけです。その作業に参加する機会を得たのでした。
 
 指導にあたられたのは当時新潟大学におられた人類学者である小片保先生でした。先生が来県され、旧倉石村の公民館において、土砂を取り除きながら、人骨を掘り出し、正確な図面を作成したのち、人骨を一点ずつ取り上げ、梱包しました。私は小片先生の助手を務め、先生が観察した後、脱脂綿に慎重にくるみ、さらに新聞して梱包し、荷札のカードを取り付ける作業を行いました。人類学の第一人者である小片先生は飾らない人柄で、時には冗談を交えながら、リラックスした雰囲気で作業は進みました。その時にも骨の見方、性別や年齢の判断など、いろいろと教えていただきました。
 
 結局最も下のところからほぼ完形の頭蓋骨が出土し、ほぼ一個体納められていたことがわかりました。この人骨は後の分析で壮年女性であることが判っています。腕には貝製の腕輪がはめられ、そしてイノシシの牙製の首飾りが副葬されていました。この首飾りには細い渦巻き状の先刻が施され、その中には赤い顔料が認められました。これらの土器と副葬品は後に重要文化財の指定され、現在は八戸市博物館で展示されています。この薬師前遺跡については調査を担当した市川金丸さんによって調査後しばらくたって報告書にまとめられました。私の書いた図面も初めて報告書に掲載されました。
 
 人骨は実に多くの情報を持っています。性別、年齢、身長などの体格、病気やけが、そして血縁関係も判明するといわれています。人類学的特徴と文化的要素は必ずしも対応するものではありませんが、縄文人のルーツや現代の私たちとの関係を知る上でとても重要な情報を提供してくれるに違いありません。
  • 薬師前遺跡甕棺出土状況
    薬師前遺跡甕棺出土状況

  • 人骨の様子
    人骨の様子

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電話:017-782-9463  FAX:017-781-6103

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