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更新日付:2012年2月1日 三内丸山遺跡センター

連載企画『縄文遊々学』

第55回 本質に迫る縄文アートとは

 縄文をテーマやヒントにしたアートやパフォーマンスなど、様々な創作活動を見る機会があります。アーティストの皆さんが縄文から何をイメージし、触発され、そしてどのように表現するのか、大きな楽しみにしています。

 しかし、近年いくつかの展示会等を見ていて、少し戸惑いを憶え、そして考え込むことが多くなってしまいました。実にさまざまな縄文的なモチーフや題材が取り上げられ、作品そのものは非常に高い完成度を感じさせますが、私には一つ一つの作品の迫力というか、強烈なメッセージがあまり感じられません。その理由を考える時、アーティストと縄文との接し方によるものではないかと思いました。縄文との接点があまり多くないというか、関わり方が浅いというか、縄文のことはそれなりに知ってはいるものの、縄文の本質が見えていないのではということです。中には縄文遺跡にすら足を運んだことがないのではと思える作品も見受けられました。文献やネットなど、いろいろな資料の中から縄文的と作者が思うモチーフを選び、活用するにとどまっているのではないかということです。そのこと自体を非難しているわけではありません。当然そのような手法もあると思います。

 ただ、そのようなアプローチの仕方で、縄文の本質に近づくことはできるのだろうかと思います。中には縄文の本質を見極め、捉えているアーティストもいるかもしれませんが、そうではないことが多いような気がします。使用しているモチーフについても縄文人がどのような場面で何に使っているのか、つまり縄文人の哲学や思考を考えていないのではないか、それが単なるデザインとして展開すると私は大きな違和感を持ってしまいます。

 以前、気鋭のアニメーターが北米西海岸の先住民を題材にして作成したアニメーションを見たことがあります。描かれる各場面を見ると、細かいところまでよく表現されていましたが、あるシーンを見て決定的に「違う」と私は思ってしまいました。それはトーテムポールが林立する村を海から眺めたシーンです。荒波の飛沫の彼方にトーテムポールが描かれていました。その時点でこの作者は現地に行っていないと確信してしまいましたし、何を参考にしたのかも判りました。実際にはトーテムポールの村は入江の中にあり、外洋からは直接見ることができないのです。他からの訪問者は静かな内湾を進むと突然立派なトーテムポールが視野に飛び込んできて、その光景に圧倒されるのです。

 縄文土器を再発見した岡本太郎はかつてパリで本格的に民族学を学びました。また、遺跡や博物館に足を運び、徹底したフィールドワークを行っているアーティストもたくさんいます。その積み重ねが本質に近づく唯一の方法ではないかと思います。縄文を題材にしたアートは年々盛んになっているようですが、縄文の本質に迫るものも数多くありますが、一方では取り組みが浅い陳腐なものも出現する、そんな危険性もあることを、見る側の私達も忘れてはならないと思います。
  • 安芸さん創作風景
    縄文アーティスト「安芸早穂子」さんの創作風景

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