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更新日付:2022年9月8日 地域活力振興課
AOMORI LIFESHIFT人財インタビュー02 太田 美友 さん
Uターンし、故郷・小泊の地域コミュニティーを再構築
「言葉を交わせる関係性」を次世代につなぐ
中泊町兼任集落支援員、小泊地区新町2町内会長、ブルーロック東北本社代表取締役
中泊町在住。1950年、小泊村(現中泊町)の漁師の家に生まれる。八戸の漁船団に7年ほど乗船し、出稼ぎのため行き来していた都内へ31歳で妻子と移住。一時体調を崩すが、起業して都内を中心にキャラクター文具の卸、イベント、企画販売を展開する。高齢の親の世話のため65歳で帰郷。現在は新町2町内会長、町の兼任集落支援員を務め、小泊地区13町内会による「小泊町会連」も設立し会長を務める。小泊網起こし保存会、小泊歴史を語る会などの文化活動にも関わる。
稼ぐために八戸へ、東京へ
八戸には6~7年いて漁船に乗り、合間は首都圏に出稼ぎに行っていました。その時に稼いだお金で、小泊の家も新たに建てることもできました。
夏場は地元で漁業を、冬季は出稼ぎの工事現場での労働でしたが、30歳ごろに無理がたたって腰を痛め、その生活が難しくなっていました。「ここで出稼ぎ生活に区切りをつけて、親せきを頼って東京で働こう」と、上京することにしました。31歳の時です。はじめのうちは、同郷の妻と幼い子ども3人を連れての東京暮らしが始まりました。
- 八戸の漁船乗組員時代の太田さん
偶然出会った「文具」の販売事業
そんな折に、ひょんなことから文具メーカーの営業マンと知り合います。彼は「キャラクター文具を見本市に出展し、撤収後に箱を持って移動するのがつらい」とこぼしていたので、箱ごと文具を買い取り、試しに神田や青山、銀座の文具屋の軒先を借りて売ってみたところ、これが当たりました。
メーカーの大量在庫を安価で仕入れての販売や自社のオリジナル商品を安く販売するイベント販売です。取り扱う文具の量は数箱になり、トラック1台になり、小さな倉庫を借りましたがまだ足りない。大きな倉庫を借りて、従業員も増えました。
会社名は小泊にちなんだものにしたくて、幼いころの船番屋の近くにあった「青岩」から取って「ブルーロック」と名づけました。消費意欲がまだまだ旺盛だった時代、全国でキャラクター文具を売り、海外にも仕入れで出かけたものです。
- 90年代に神戸で開催した物販イベント
帰郷して痛感する「人口減少」の弊害
帰郷してすぐ、自然な流れで自主防災組織の活動を手伝いました。というのも私が東京で住んでいた江東区は、団地住まいのころは自治会があり、一軒家を構えてからも町内会が機能している下町情緒が残っている地域でした。頼まれるといやと言えない性格もあり、防火・防犯の夜回りをすることが多かったです。近所の子どもたちも顔見知りで、隣の町内会とも交流があるという地域コミュニティーが「当たり前」だと思っていました。
ですが30年ぶりの故郷は、こんなに人が減ったのか、と痛感せざるを得ません。帰省の都度、うすうす感じていましたが、コミュニティーに関わる人が圧倒的に少ないのです。
現在は、小泊地区の新町2町内会長を務めています。帰郷したときは、町内会長をやるなんて思ってもみませんでしたが、自主防災組織の活動を手伝っている中で、前の町内会長から声を掛けられたのがきっかけです。
会長になった2020年からは、まず町内会の役員を増やすことを始めました。町内会で懇談会を開いても、役員以外で参加する人は少ない。役員を増やしておかないと、地域の意見を伝えきれず、ますます衰退してしまうと考えたんです。「人が本当に減って、コミュニティーを維持できない状態まできている」「年数回の会合に出て意見を言ってくれるだけでいいよ」ということを、直接家々を回り説明すると、事情を理解して役員を引き受けてくれました。
困りごと解決で地域がより協力的に
そしてもう一つ取り組んだのが、別の町内会と対話する機会を増やすことです。小泊・下前地区には13町内会があるのですが、これまでは横のつながり、お互いの情報を交換する機会がありませんでした。でも「これからもどんどん人が減る。役場に相談に行くにも、何をするのにも、地区全体で協力し合っていかなくてはいけない」と感じ、町内会長一人一人に働きかけて、2021年に「小泊町会連」を立ち上げました。「東京の方がまだ町内会が機能し、地域間のコミュニケーションも取れていた」と感じたことも、町会連を立ち上げるきっかけの一つかもしれません。
- 地域住民の困り事を聞き入れて新たに作られたごみ集積所
地域の人が喜ぶ顔が原動力になる
2022年度に入ってからは、高台の農作業小屋を借りて地区住民の避難所にすることができました。豪雨災害や、津波などの際の避難場所を想定しています。この8月上旬の豪雨の時も、「万一の時はあそこに毛布だけ持って避難すればいいの?」と地域の人に聞かれ、あぁ、地域の人に安心感を持ってもらえたのだと思ったものです。ただ坂の上にあり、足腰の弱った高齢者には少々つらいかもしれませんので、自主防災組織で避難訓練を実施する予定です。
次は高齢者の集いの場をつくるつもりです。家にいるよりも、外に出て、人と話をする方がずっと元気になります。そんな場所を小泊のあちこちに何カ所もつくりたいと思っています。
町を頼ることも必要ですが、時間が経つとどうしても面倒になってしまうので、自らすぐ動くようにしています。経営者として長年積み重ねてきた「経営感覚」がそうさせている側面もあるかもしれません。町の「集落支援員」制度が財政的な後押しになっていますけれど、地域の人たちが喜ぶ顔を直接見られることが、何より原動力になっています。
- 地域住民の避難場所として借り受けた農作業小屋
住民同士、気付きや体験の共有を
近い将来、小泊はさらに人口が減るでしょう。町内会同士の合併など、コミュニティーの再編も迫られるはずです。そこから新たに信頼関係を構築するのでは遅いのです。
大事なのは、「人とのつながり」です。40~50歳代の働き盛りの世代は、仕事や子育てで忙しく、家族以外の周囲のことを考える余裕はないと思います。ですが普段から言葉を交わせる関係性を意識してほしいと思っています。例えば、ご近所さんとごみ集積場で会っても「こんにちは」だけで終えるのではなく、「今日は、寒いですね」、「今日はカラスが多いですね」と一つ踏み込んだ会話をして、普段から少しずつつながりを作っておくことが、もしもの時の支え合いのベースになると思います。