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更新日付:2023年4月4日 地域活力振興課
AOMORI SHORT FILM PROJECT 21-22

10~20代の若者によるチームが
青森に根ざして生きる人々との
対話と交流を通してその思いを知り
ショートフィルムとして描き出す
2年間の共創プロジェクト

ショートフィルム「からっぽ」とメイキング映像の公開
完成したショートフィルム「からっぽ」と撮影メイキング映像をYouTubeに公開しましたので、ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/@asfp_aomori/
ショートフィルム「からっぽ」上映会・トークイベント開催
「AOMORI SHORT FILM PROJECT(ASFP)」のプロジェクトチームが、2年の歳月をかけて制作したショートフィルム「からっぽ」が完成し、上映会とトークベントを県内3会場で開催した。
3会場で約180名の観覧者が集まり、中には開場前から長い行列ができた会場もあった。
ASFPメンバーは、受付、誘導、場内案内など運営全般を手伝ったほか、トークイベントでは、主演や監督とともに登壇し、フィールドワークで出会った、地域を愛し地域とともに生きる方々との交流を通じて、青森の新たな魅力に気付いたことを自分なりの言葉で話した。
「青森に根ざして生きる人々との対話と交流を通して、その思いを知り、ショートフィルムとして描き出す」というプロジェクトのコンセプトどおり、この2年間の出会いが、彼らの中に確かな変化と気付きを生み出したことが伝わってきた。

主演(ダブルキャスト)オーディション開催<募集終了>
昨年度、クリエイター、メンター、10~20代の若者によるプロジェクトチームが青森に根ざして生きる人々との対話と交流を通して制作した脚本を基に、今年の夏、ショートフィルムの撮影を行います。
撮影に先立ち、主演2名(ダブルキャスト)を公募し、オーディションを開催しますので、演技や映像づくりに興味のある方、地域づくりに興味のある方、ぜひご応募ください。撮影の舞台は青森! たくさんのご応募をお待ちしています。
<募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。>

ストーリー概要
タイトル:35740(仮)
2022年・夏。津軽生まれの女子大生・工藤ハルカ(21)は引っ込み思案な就活生。ある日、東京の面接に向かうところ、見知らぬ就活生・三上アオイ(21)のせいで、東京行きの新幹線に乗り遅れてしまう。うなだれるハルカとアオイの手元には、親からもらった往復の交通費・35,740円。
アオイはそれを元手に、半ば強引にハルカを一日だけの地元旅に連れ出す。アオイとハルカの、二度と訪れない一夏を描いた青春ムービー。
<募集時点の内容であり、脚本の推敲を行う中で変わる場合があります。>
映像監督・制作プロデューサー
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下田翼(プロデューサー・クリエイティブディレクター)
1986年東京都生まれ。2015年に青森県弘前市に移住。
地域の魅力をよそものの視点から発掘し、クリエイターと協業してコンテンツ化させることを生業としている。青森県や弘前市、RINGOMUSUMEなど地域PR映像を多数プロデュース。
-
藤代雄一朗(映像作家)
1984年東京都生まれ。2016年DRAWING AND MANUALに参加。2021年独立。SEKAI NO OWARI・サンボマスター・くるり・FoorinのMVなどを手がけ、2019年には新潟県の中編映画「ボケとツッコミ」を監督。青森県のPR映像なども制作している。
募集概要
- 募集期間:令和4年5月9日(月)~5月31日(火)
- 応募要件:18歳~29歳の原則青森県内在住の女性(ただし、青森県出身で撮影の全日程に参加可能であれば、県外在住者でも応募可)
- 採用人数:2名(主演)
-
応募方法:申込書(ワード版
、PDF版
)に必要事項を記入の上、下記まで郵送またはメールで送付 ※5月31日必着
<郵送の場合>〒030-8570 青森市長島一丁目1番1号
<メールの場合>chikatsu@pref.aomori.lg.jp
いずれの場合も、青森県企画政策部地域活力振興課 ASFP担当宛て -
選考の流れ
(1)一次審査:書類審査
(2)結果通知:6月3日(金)までに一次審査通過者のみにお知らせします。
(3)二次審査:6月11日(土)自己PR、簡単な演技、質疑応答 ※青森市内で開催
(4)採用決定:6月15日(水)までに二次審査参加者全員にお知らせします。 -
その他
(1)二次審査会場までの交通費は自己負担とします。
(2)採用となった場合、以後の撮影に係る報酬及び交通費(県内移動分)は県から支給します。
(3)完成した作品は、映像祭等に出品する予定です。 -
個人情報の取扱い
応募書類に記載された情報は、県において厳重に管理し、本オーディションにのみ使用します。なお、応募書類は返却しません。 -
問合せ先
青森県企画政策部地域活力振興課生業・地域活性化グループ
TEL:017-734-9075
Mail:chikatsu@pref.aomori.lg.jp
これまでの歩み
2021.06.25 プロジェクトメンバー募集開始
2021.07.24 キックオフミーティング
2021.10.23 第1回フィールドワーク
2021.10.24 第2回フィールドワーク
2021.10.30 第3回フィールドワーク
2021.10.31 振り返りワークショップ/ショートエッセイ発表/意見交換
2022.01.08 脚本検討会議
2022.01.09 映像製作ワークショップ
2021.06.25 プロジェクトメンバー募集開始
原則として青森県内在住の概ね16~29歳までを対象に、令和3年6月25日から同7月14日までプロジェクトメンバーの募集を行った。30名ほどの申込者の中から、20名のプロジェクトメンバーを決定した。
- プロジェクトメンバー募集ページ(~R3.7.14)https://pref.aomori.lg.jp/soshiki/kikaku/chikatsu/aomorishortfilm_boshu2021.html
2021.07.24 キックオフミーティング
ASFPメンターで起業家の辻正太が、2017年に弘前市に立ち上げたコラーニングスペース「HLS弘前」に、選考を経て選ばれたメンバーが集った。主催者挨拶、事業背景説明の後、本プロジェクトに参画するクリエイター、メンターから自己紹介があった。
【クリエイター、メンター(敬称略)】
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下田翼 TSUBASA Shimoda / プロデューサー・クリエイティブディレクター
1986年東京都生まれ。2015年に青森県弘前市に移住。地域の魅力をよそものの視点から発掘し、クリエイターと協業してコンテンツ化させることを生業としている。青森県や弘前市、RINGOMUSUMEなど地域PR映像を多数プロデュース。
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藤代雄一朗 YUICHIRO Fujishiro / 映像作家
1984年東京都生まれ。2016年DRAWING AND MANUALに参加。2021年独立。SEKAI NO OWARI 、サンボマスター、くるり、FoorinのMVなどを手がけ、2019年には新潟県の中編映画「ボケとツッコミ」を監督。青森県のPR映像なども制作している。
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辻正太 SHOTA Tsuji / 起業家
1982年奈良県生まれ。株式会社まちなかキャンパス代表取締役。(株)BOLBOPに参画し、弘前拠点の立ち上げのため移住。2017年、「世代や地域を越えて多様な人々が学びあい、ともに未来を切り拓く」をコンセプトに、コラーニングスペースHLS弘前を設立。
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堀江洋生 HIROKI Horie / インキュベーター
青森市生まれ。2016年から株式会社MAKOTOにて、地域コミュニティ支援、インキュベーション、東北の起業家・経営者・クリエーターとのイベントを企画。2020年、青森にUターンしアワイ合同会社を設立。同代表。
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高野明子 AKIKO Takano / デザイナー・プランナー
仙台市生まれ。2016年に企画・デザイン事務所「WALTZ」設立。印刷物やグッズのデザイン、展覧会、イベント・ワークショップなどの企画・運営、ウェブメディアの企画・編集、アーティストや作家の活動支援を行っている。2021年春より弘前市在住。
次いで、メンバーが車座になって自己紹介を行い、オンライン参加1名を含む18名の出席者がプロジェクトへの応募動機などを語った。メンバーは20代の社会人を中心に、大学生、大学院生、最も若い者では高校生と、若い世代が幅広く集まった。メンバーはいずれも、創作活動や表現活動への関心、地域活性化や伝統文化の継承への関心、あるいは漠然とだけれど何らかの形で地域貢献をしたいという思いを共通して持っており、グループに分かれて行ったアイスブレイクでの対話は自然と熱を帯びた。
横浜聡子監督のトークセッションでは、映画監督になるまでの自身の変遷、これまでの作品のこと、制作手法などについて話題が展開した。令和3年6月25日に全国公開された映画『いとみち』では、青森には映画の題材になるものがたくさんあって、改めてその魅力に気づかされたという。その一つである岩木山を、横浜監督は「駒井蓮(平川市出身)演じる主人公「いと」の母親的存在として描いた」そうだ。メンバーは現役の映画監督から語られる言葉に耳を傾け、ASFPで創り出す作品のイメージを膨らませた。
最後に今後の予定を事務局からメンバーに伝えた後、日々の情報共有や意見交換の場としてSNS上にASFPグループを作成し、キックオフミーティングは終了した。

2021.10.23 第1回フィールドワーク
新型コロナウィルス感染症拡大の影響により、当初予定していた活動日程の変更を余儀なくされる中、状況が落ち着きを見せてきた10月23日、第1回のフィールドワークを実施した。この日はまずHLS弘前に集合し、ASFPメンター・インキュベーターの堀江洋生の進行で、フィールドワークの効果を高めるための事前ワークを行った。メンバーは「偏愛マップ」等のフレームワークを使って自らの興味・関心を深掘りし、インタビューを行う際の切り口を確認した。

弘前市内で昼食を取ったあと、中央弘前駅から弘南鉄道大鰐線に乗り、大鰐町へと向かった。メンバーは、談笑したり、持参したカメラで風景を撮影したりしながら、ゆるやかな速度で進む鉄道の時間を楽しんでいた。車両の外には、津軽のりんご畑が広がっていた。
大鰐駅に着くと、駅のシンボルキャラクター「あじゃりん」のモニュメントが迎えてくれた。メンバーはその巨大さに歓声を上げつつ、最初の目的地である「大鰐町地域交流センター鰐come」へと向かった。

鰐comeでは、同施設の指定管理者「プロジェクトおおわに事業協同組合」の専務理事・八木橋綱三と、「大鰐温泉もやし増産推進委員会」のおおわにコンシェルジュリーダー・船水英俊がインタビューに対応してくれた。
八木橋は、湯治場として栄えた大鰐温泉、大鰐町が「第二の夕張」と言われる原因となったリゾート開発の失敗、衰退する町を盛り上げようと住民有志が結成した「おおわに足の会」と、そこから発展的に形成された「プロジェクトおおわに事業協同組合」、そしてその取組と課題について語ってくれた。八木橋は、農業の後継者不足に強い危機感を抱いていた。その解決策として、「大鰐温泉もやし」のブランド化に力を入れている。大鰐温泉もやしは「小八豆」を育成することでとれる、門外不出の在来種だ。八木橋は大鰐温泉もやしの生産だけで若い農家が生計を立てていけるようになる未来を目指している。
船水は、大鰐温泉もやしの技術的な側面のほか、「OH!!鰐元気隊キッズ」の取組を語ってくれた。今の大鰐の子どもたちの親世代は、自分たちの親から、先のない大鰐から出て外で働くように教えられてきたという。船水は、今の子たちには大鰐の良い面に目を向けて地元に留まり、地域の将来を担ってほしいと考えている。その意識を若いうちから育めるよう、子どもたちが県外催事で地元産品を自らの手で販売する機会の創出に取り組んでいる。
八木橋は平川市出身だ。大鰐の生まれではない。船水は八木橋に誘われ、弘前市から移り住んだ。しかし、ASFPクリエイティブディレクターの下田翼が漏らした「大鰐が好きなんですね。」という感想に、八木橋は「ですね。」と即答した。八木橋は、自らが思い描く未来を「自分が生きているうちは実現できないかもしれない。でも諦めていない。」と穏やかに、しかし力強く言った。

2021.10.24 第2回フィールドワーク
1日目は五所川原市の津軽五所川原駅に集合し、津軽鉄道で金木駅へと向かった。駅から徒歩10分のところにある「かなぎカフェmelo(メーロ)」がこの日の会場だ。「メーロ」はりんごを意味するイタリア語だそうだ。元米蔵をリノベーションした建物で、当時のままに残された柱や梁に、往年の面影が感じられる。
話を聞かせてくれたのは、「一般社団法人かなぎ元気村」の代表理事・伊藤一弘だ。かなぎ元気村では、ヘルスツーリズム、グリーンツーリズム、ガストロノミー列車等、多種多様な体験型の観光プログラムを実施している。地域活性化の取組には、収益性の乏しいものも少なくない。元々信用金庫に勤める金融マンだった伊藤は、事業によって利益を出すことを重視しているという。そこには「地域活性化は、地域に住んでいる者がやらなければならない」という強い思いがある。
「よそ者、若者、馬鹿者」という言葉が生まれたように、地域の閉塞感を変えてくれる外部の若者は、地域活性化に大きな役割を果たしてきた。それだけに、地域活性化を望む熱意ある人々ほど、外部の若者に期待を寄せる。しかし伊藤は、地域住民自らが稼ぎ、地域にお金を呼び込むことが、持続可能な地域づくりのためには重要であると言う。
とはいえ、外部の若者を拒んでいるわけでは全くない。地域おこし協力隊についての話の中で伊藤は、3年間の任期終了後、隊員が必ずしも任地に定住できない状況があることに言及し、表情を曇らせた。
そこには、地元住民だけでは地域が立ち行かなくなるという危機感と同時に、若者が住み続けられる地域を未来に残していきたいという真摯な思いが感じられた。

昼食後、金木駅から再び津軽鉄道で津軽五所川原駅に戻り、午後のヒアリングに臨んだ。津軽鉄道の車両内だ。津軽鉄道では、車両を貸スペースとして貸し出している。中には薪ストーブが備え付けられており、冬には「ストーブ列車」として運行する。この薪ストーブでスルメを炙り、その場で乗客に振る舞うのが、津軽鉄道の冬の名物行事だ。ここではリネン作家の岡詩子と、ねぷた表現師の齊藤忠大からお話を伺った。
鶴田町出身の岡は、一度県外で就職するが、まもなく退職して鶴田町に戻ってきた。退職するとき、「二度と働くもんか」と思ったという。そう語る岡の表情には、言葉の重みに反して、ある種の明るさがあった。退職を決意したとき、自らが望む生き方がはっきりしたからなのかもしれない。
岡はUターン後、自分ができることでお金になるものは何かと考え、好きだったリネンでものづくりを始めた。試行錯誤の末、縫い目のないストールを生み出す。当初はクラフトイベントに出店していたが、現在はインターネットに販売の主軸を移している。インターネットでの販売の方が、性に合っているのだという。それでも買い手との接点が少なくなることはなく、岡の作品のファンは全国にいる。
自然体の岡の周りには、多くの人が引き寄せられる。「つるた街プロジェクト」を主宰し、20~30代の若者や主婦と、キャンドルナイトやまち歩きなど、鶴田町を楽しむイベントを開催してきた。岡はまた、移住者をも呼び寄せる。最近では、関東圏の中華料理店等で働いていた若者が、岡との出会いをきっかけに鶴田町に移住し、テイクアウト専門の水餃子店を開業した。
「鶴田から出ないで仲間とわいわい楽しくやりたいという欲だけで生きている」と語る岡。なぜそんなに鶴田町が好きなのかという問いに、岡は「理由はつけられない。それでも選んでしまう。」とあくまでも自然体で答える。たしかに何かを好きになるという感覚は、統合されたものであって、言葉で細分化できるものではないのかもしれない。
齊藤は、「ねぷた表現師」という耳慣れない肩書きを自らに冠している。ねぷた師ではない。ねぷた師はねぷたの制作者だが、ねぷた表現師は、「ねぷたの技術で何かを表現する人」なのだという。
元々は東京で舞台美術の仕事をしていた。五所川原市にUターンしてきたとき、復活して2年目の「五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)」の製作ボランティアの募集があった。齊藤はそこに応募して採用され、ねぷた師としてのキャリアを歩み始めた。
五所川原市では、ねぷた師を市の技能技師として任用している。安定した環境の中、齊藤は立佞武多の製作に打ち込んだ。「又鬼」、「陰陽 梵珠北斗星」、「かぐや」など、22年間のうちに、歴代の制作者の中で最も多い6体の大型立佞武多を生み出した。
その一方で、このまま市所属のねぷた師として製作を続けていくことに疑問も感じていた。齊藤は2006年に一度、人気ゲーム「桃太郎電鉄」を題材にした小型の立佞武多を製作している。このときの経験から、齊藤は伝統的な立佞武多の製作に留まらない、ねぷたの表現の可能性を感じるようになっていた。様々な思いの高まりから、2021年3月末に退職し、「ねぷた表現師」として独立した。
ヒアリング中、齊藤は何度も「表現」という言葉を口にしていた。立佞武多という地域の祭りに制作者としてのめり込んだことが、齊藤の心の奥にあった表現への欲求を育んだのかもしれない。
岡はリネンで、齊藤はねぷたの技で、言葉だけでは表現できないことを表現している。そういえばASFPが映像という表現手段を選んだ理由も、そこにあるのだった。

2021.10.30 第3回フィールドワーク
この日は青森方面、弘前方面、黒石・板柳方面の3チームに分かれてインタビューを行った。
青森方面

黒石・板柳方面

弘前方面

2021.10.31 ショートエッセイ発表、脚本づくりに向けたミーティング
3日間のフィールドワークを終え、メンバーは思い思いのスタイルで、3日間の学びや気づきをショートエッセイで表現することとなった。
ワークショップ当日は、まずフィールドワーク1日目、2日目の内容について、あらためてメンター陣が振り返り、印象深かった場面等について言及した。さらに3日目のチーム別のフィールドワークについては、各チームの代表者から他チームのメンバーに共有した。
エッセイの発表はそれぞれ10分程度で実施し、メンター陣からフィードバックを行った。弘南鉄道から見える景色や、大鰐温泉の哀愁など、まちの雰囲気から感じ取ったことを言葉にしたものや、インタビューした皆さんが話していたことからインスピレーションを得て、物語のような形で執筆したものもあった。中には、動画のシナリオについて、かなり詳しい設定まで含めて作りこみ、提案したものもあった。同じものを見て、同じことを聞いていても、印象に残っていることや表現の仕方に、それぞれの個性が現れていた。
発表後、脚本制作を担当する下田から講評があった。下田自身、メンバーの多様な視点やみずみずしい感性から多くの気づきを得たようだった。

2021.12.13 県外の取組に学ぶ
メンバーはここまで、県内の様々な地域づくり実践者と対話し、彼らがどんな想いで青森で生きているのか、働いているのかを学んできた。その姿を見て、自らが地域に対して貢献できることを考え始めた高校生もいる。
今回は少し視野を広げ、他地域での地域づくり実践者から取組を学んだ。講演いただいたのは、東日本大震災後、宮城県気仙沼市に移り住み、地域の学びの場づくりに尽力している成宮崇史。成宮は当初、瓦礫の撤去などマイナスをゼロに戻す活動に従事していたが、少しずつ若者を中心とした居場所づくりに取り組み始め、今では気仙沼市から委託を受けて、地域の交流拠点を運営し、若者の地域活動を支援している。
成宮によると、地域づくり活動において「なんとなく(と本人は語る。ここに成宮のしなやかさが表れているように感じられた)」重要なことは、何でも面白がり、60%の自己主張をしながら、細やかなコミュニケーションを取ることであるという。よそ者であるからこそ、地域の人にとって当たり前のことやとるに足らないことを、本気で面白がる。成宮は、そこに自分たちの解釈も加えながら、たくさんの人を巻き込み、新しい価値を生み出している。
今、気仙沼には、震災の文脈とは関係なく、若者がたくさん集まり始めている。成宮をはじめ、震災後すぐ移り住んだ若者たちが、全力で気仙沼を楽しんでいる姿を見せ続けていることが、若者の求心力に繋がっているようだ。成宮は、そこに住む人が心から楽しいと感じて暮らすことが地域にとって一番大切なことであり、未来を創る原動力にもなるということを、我々に感じさせてくれた。

2022.1.8 脚本検討会議
年が明けた2022年1月8日、メンバーは脚本検討会議のために再びHLS弘前に集った。
クリエイティブディレクターの下田は、この日に合わせて脚本の原案を作り、メンバーに披露した。青森に暮らす性格の異なる二人の女子大学生が、就職活動をきっかけに知り合い、とあるトラブルからともに小旅行に出かけることになる。いくつかの目的地を巡るうち、地域を見る自らの眼差しの変化に気づいていくと同時に、互いの価値観の違いが明らかになっていく。共通しているのは、「ここではないどこかへの憧れ」だ。
フィールドワークを通して地域のヒト・モノ・コトを学んだメンバー達は、そのときの記憶を参照しながら脚本の内容を検討していった。定められた正解のない作業のなか、多くの意見が出た一方、同じくらい多くの沈黙があった。協働して何かを作り出す過程において、自らの考えを言葉にすることはもちろん必要だ。しかし、脚本と格闘するメンバーの姿は、沈黙にも言葉と同じくらいの価値があることを教えてくれた。創造という答えのない問いに、言葉でごまかさず、言葉が出てこないもどかしさに黙して向き合うことで、自分が本当に伝えたいことが紡ぎ出されてくるのかもしれない。
下田はこの日出された意見を受け止め、今後の脚本の改訂に活かしていくこととした。

2022.1.9 映像制作ワークショップ
ディレクターとは、企画や演出の中に潜む嘘や違和感を見抜き、あらゆる手段でその違和感を排除して「伝わる映像」をつくる人。
この日、藤代雄一朗は、映像作家としての自らの役割をこのように定義した。ASFPはストーリーと映像の両輪で「地域」を伝えるプロジェクトだ。片方の車輪がクリエイティブディレクターの下田だとすると、もう片方の車輪が藤代である。
藤代は著名アーティストのミュージックビデオのほか、下田とともに県内のプロモーション映像等を数多く手がけている。藤代が作り出す作品は、構図、光、音、間(ま)など、作品を構成する諸要素が「伝わる映像」に向かって必然的と言いうるまでに溶け合っている。だからその作品は、強力な説得力を持ち、わずかな時間でも見る者の心を動かす。
この日はまず、藤代が実際に制作に携わった事例を交えながら、映像制作の全体像についてレクチャーが行われた。取り上げられたのは、日本に居住する多くの人が大晦日に見たであろう、気仙沼のドキュメント映像だった。
まず藤代が、編集前の原型の映像を見せる。時折ポイントとなる編集箇所に解説を加えながら、完成までの道のりをたどっていく。その変化の過程を、メンバーは食い入るように見つめていた。
この日に合わせて弘前を訪れてくれた音響エンジニアの長根雄之からは、音に関するレクチャーが行われた。音の物理的な性質や、実際の現場で使用する器具についての説明は、普段音に特化した議論をすることが少ない我々にとって、新鮮で深いものだった。
昼食を挟み、午後は藤代が実際に使用しているカメラ等を使って、撮影の実習が行われた。機材が空間に並べられると、場の空気が撮影現場のそれへと変わった。メンバーは緊張しながらも、カメラやガンマイクを構え、脚本の冒頭のシーンの撮影を体験した。最後に、数カットの映像をその場で藤代が編集し、数十秒のシーンにまとめた。未完成とは言え、紛れもなく作品のワンシーンができあがったのだった。
この日の体験を経て、物語を映像で表現することのリアリティが、メンバーの中で一気に高まった。
