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更新日付:2022年12月1日
知事コラム(2022年12月)
道は生きている
上北自動車道全線が、いよいよ完成する。日本で唯一、同一県内で人口20万人以上の都市(八戸-青森間)が高規格道路で結ばれていない「ミッシングリンク(※この場合は未整備区間で途中で途切れている区間のこと)」解消に向け大きく前進する。
完成までの資料の中に、思い出深い新聞記事があり、改めて手に取って眺めている。
その見出しには大きく「東北・上北中『上北道路』早期完成を」「知事と会議、疑問ぶつける」とある。
平成17年12月、上北中学校で開催した「知事と語ろう『上北道路』会議」。生徒たちから、上北道路が完成したら「青森や八戸の大病院まで短時間で行ける」「移動時間短縮で、進学や就職に選択の幅が広がる」「農水産物などを新鮮なまま、いち早く市場に運べる」等々積極的な意見が多数出された中、自分が一番こたえたのは、「どうせ私たちが40歳になっても完成しないんじゃないか」「20年、30年後では時間がかかりすぎる」と直球で詰め寄られたシーンである。
さらに、当時の竹内東北町長さんから「八戸-青森間の新幹線開通があと4年。上北道路もあと4年の目標で行きましょう!」と加勢のひと声があり、会場は大いに沸いた。われながらよくぞ苦し紛れに「上北道路を予算化して進めるには国土交通大臣の力が必要。修学旅行の行程に追加して、一緒に国交省に行こう!」と言ったものだが、これが本当に実現した。無理を承知で、大臣官房にお願いしてみたところ、当時の冬柴鐵三大臣が快諾してくださった。大変うれしかった。
翌秋、T君をキャップとする上北中学校の生徒5人と大臣室にお邪魔した。生徒たちは、地元の実情や上北道路が完成したら生活がこんなに便利になりますなど、上北道路会議で出た意見を生真面目に訴えた。冬柴大臣は、一人ひとりの話を「うん、うん」と優しくうなずきながら全て聞いてくださり、「君たちの思いをしっかり受け止めた。この道は必要と思う。一緒に頑張りましょう」と仰ってくださった。
この時の感激と感動は忘れられないが、平成23年12月、冬柴元大臣は亡くなられた。この時の中学生たちの思いをつなぎ、そして、地元の首長さんをはじめ、多くの関係者の皆さまの格別なるご理解とご協力を得て、ようやく完成を迎えた今、感謝の思いを直接お伝えできないことが大変に寂しく心残りとなっている。
こうした中、去る9月1日、天間林中学校で、今度は完成後の上北自動車道をどう活用するのかを討論する「知事と語ろう『上北自動車道会議~2022~』」が開催されたが、なんとその場に、17年前の中学生たちが参加してくれた。
自分が40歳になっても上北道路が完成しないのではと嘆いていたE君は、驚いたことに東北町役場建設課に勤務。冬柴大臣と懇談したT君は、広島の裁判所勤務で、「里帰りの際には青森空港からみちのく道経由で必ず使います」と話してくれた。最も驚いたのは、「私、当時中学2年生で、あの会議に参加して、20~30年では長すぎると思っていました。早く完成してよかった」と知事(自分の)秘書から告白されたことである。
うーん、なるほど。「いい道つくろう。いい明日つくろう」と言ってきたが、これからは「道は生きている。いろんな人生や思いをつなぐ」を追加したい。まさに、道の神髄此処に在りである。
完成までの資料の中に、思い出深い新聞記事があり、改めて手に取って眺めている。
その見出しには大きく「東北・上北中『上北道路』早期完成を」「知事と会議、疑問ぶつける」とある。
平成17年12月、上北中学校で開催した「知事と語ろう『上北道路』会議」。生徒たちから、上北道路が完成したら「青森や八戸の大病院まで短時間で行ける」「移動時間短縮で、進学や就職に選択の幅が広がる」「農水産物などを新鮮なまま、いち早く市場に運べる」等々積極的な意見が多数出された中、自分が一番こたえたのは、「どうせ私たちが40歳になっても完成しないんじゃないか」「20年、30年後では時間がかかりすぎる」と直球で詰め寄られたシーンである。
さらに、当時の竹内東北町長さんから「八戸-青森間の新幹線開通があと4年。上北道路もあと4年の目標で行きましょう!」と加勢のひと声があり、会場は大いに沸いた。われながらよくぞ苦し紛れに「上北道路を予算化して進めるには国土交通大臣の力が必要。修学旅行の行程に追加して、一緒に国交省に行こう!」と言ったものだが、これが本当に実現した。無理を承知で、大臣官房にお願いしてみたところ、当時の冬柴鐵三大臣が快諾してくださった。大変うれしかった。
翌秋、T君をキャップとする上北中学校の生徒5人と大臣室にお邪魔した。生徒たちは、地元の実情や上北道路が完成したら生活がこんなに便利になりますなど、上北道路会議で出た意見を生真面目に訴えた。冬柴大臣は、一人ひとりの話を「うん、うん」と優しくうなずきながら全て聞いてくださり、「君たちの思いをしっかり受け止めた。この道は必要と思う。一緒に頑張りましょう」と仰ってくださった。
この時の感激と感動は忘れられないが、平成23年12月、冬柴元大臣は亡くなられた。この時の中学生たちの思いをつなぎ、そして、地元の首長さんをはじめ、多くの関係者の皆さまの格別なるご理解とご協力を得て、ようやく完成を迎えた今、感謝の思いを直接お伝えできないことが大変に寂しく心残りとなっている。
こうした中、去る9月1日、天間林中学校で、今度は完成後の上北自動車道をどう活用するのかを討論する「知事と語ろう『上北自動車道会議~2022~』」が開催されたが、なんとその場に、17年前の中学生たちが参加してくれた。
自分が40歳になっても上北道路が完成しないのではと嘆いていたE君は、驚いたことに東北町役場建設課に勤務。冬柴大臣と懇談したT君は、広島の裁判所勤務で、「里帰りの際には青森空港からみちのく道経由で必ず使います」と話してくれた。最も驚いたのは、「私、当時中学2年生で、あの会議に参加して、20~30年では長すぎると思っていました。早く完成してよかった」と知事(自分の)秘書から告白されたことである。
うーん、なるほど。「いい道つくろう。いい明日つくろう」と言ってきたが、これからは「道は生きている。いろんな人生や思いをつなぐ」を追加したい。まさに、道の神髄此処に在りである。
(県民だより あおもり - 2022年12月号)