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更新日付:2023年12月19日 地域交通・連携課

AOMORI LIFESHIFT人財インタビュー16 木村 芳明 さん

まずは自分で動いてみる。

吉田さん01 「五神会」代表
五戸町在住。りんご農家の次男として生まれ、高校卒業後は横浜市で運送業に従事。結婚して妻と共に48歳でUターンし、製造業を経て家業を継ぐ。シャインマスカットの栽培を始める一方、神輿の担ぎ手として県内各地のお祭りに参加。2019年五戸町に神輿の会「五神会」を発足し「五戸まつり」に担ぎ神輿を取り入れる。


家族のためにUターンし農業を継ぐ

親はりんご農家をしていましたが、高校を卒業してからは横浜で運送業に就いて、継ぐつもりはありませんでした。けれど、叔母が病気になって、親父に「帰ってきてくれ」と頼まれたことで、48歳のときにUターンしました。

しばらくは、昼間は叔母の面倒を見ながら親父の畑を手伝ったりして、夜は工業製品を製造する会社で働いていました。そのうちに自分が畑を継ぐことになりますが、農業経験がなかったので倉石の農家でアルバイトをしながら農業を勉強しました。りんごだけでは収入が厳しいのでシャインマスカットの栽培を始め、今は会社も辞めて、農業一本でやっています。

飛び込みで神輿の会に入る

農業とは別に、戻ってきてから“神輿”でまちに関わっています。神輿に「はまった」のは、横浜で働いていた頃、友人に誘われて「巳友会(みゆうかい)」という横浜の神輿の会に入ってからです。代表が大工仲間などを集めて立ち上げた会で、当時は10人以上が活動していました。巳友会は横浜のお祭りで神輿を担ぐんですが、それだけじゃなくて、茅ヶ崎や鎌倉、川崎など周辺地域でお祭りをするときにも担ぎ手として呼ばれます。人口が多かった時代は、地域の人たちだけで神輿を担げたけれど、今は人手が足りないから、あちこちに応援しにいきます。そこでみんなで担ぎ、楽しんで、帰ってくる。完全にボランティアです。多少お酒をご馳走になったりするけれど、お金をもらうことはありません。こっちとしては、遊ばせてもらっているという感覚です。その後、知り合った神輿仲間が地元の祭りのときに担ぎに来てくれる。今度はこちらが接待する番で、楽しんでもらう。そんな風にお付き合いしていました。
  • yoshida07
    巳友会で神輿を担ぐ木村さん
五戸町でも神輿を担ぎたかったんですが、「五戸まつり」は山車の運行がメインで、神輿は担ぎません。そこで、「十和田市秋祭り」で神輿を担いでいる「わ組」という会を知り、祭り当日に訪ねました。まったく知らない人たちでしたが、お酒を1本持っていって「担がせてくれませんか」って。向こうも、「担ぎたい人がいるなら、みんなで楽しく担ぎましょう」という感じで、はんてんを貸してもらって、一緒に神輿を担いで、お酒を飲んだらもう仲間です。そうして「わ組」に入って、十和田市のお祭りはもちろん、八戸市の大祐神社や青森市の善知鳥神社などにも毎年応援で担ぎにいくようになりました。

神輿の会を新たに立ち上げる

各地のお祭りに参加しながら、ゆくゆくは五戸町でも神輿を担ぎたいと思っていました。それを「わ組」の懇親会などで話していたら、2019年の青森県神輿連合会(青森県連)発足時の懇親会にて、大祐神社のお祭りを仕切っている山田会長に、「大祐神社の神輿を貸すから、五戸まつりで担げばいい」と言われました。五戸町で神輿の会に入っているのは、自分を含めて数人しかいなかったので無理だと思ったんですが、青森県連が『各地の神輿復興及び復活に尽力する』という目標を掲げて手伝ってくれることになりました。 

そのことを地元の友人に相談したところ、「子供が減って五戸まつりも下火になってきているから、少しでも盛り上げたいね」という話になって、実現させる方向で動くことにしました。 

まずは手伝ってくれる人を集めなければいけません。そこで、久しぶりに同期会を開きました。町にいる同級生を10人くらい集めて飲んで、最後に事情を話してお願いをしました。突然「手伝って」なんて言いにくかったんですが、意外と反応がよかった。とくに、子育てが一息ついた女性たちが「楽しそう」とのり気になってくれました。そうして、「五神会」を立ち上げました。“五”戸の“神”輿の“会”という意味です。 

同級生たちのおかげで、その年の五戸まつりで、借りてきた神輿を担ぐことができました。いわゆる「万灯(まんとう)神輿」という弓張提灯を掲げた神輿です。実際に担ぐのは、青森県連の方々のほかに、岩手県の久慈、野田、大野からも仲間たちが参加してくれました、地元の者は神輿を誘導したり、怪我人が出ないように見守ったり、終わった後の懇親会の準備をしたり、慣れないなか一生懸命動いてくれました。

年に1度、お祭りのときにしか集まれない人たちに会えるので、担がなくても楽しいです。五戸町は坂が多いから神輿を担ぐのも大変で、みんな「疲れた、大変やったな」と言うんですけど、終わると「担ぎ足りない」なんて言ってお酒を飲むのがいいですね。お祭りって、その場にいる人たちが、ひとつの共同体になる。そういう感じが好きなんです。

それ以来、毎年五戸まつりで五神会は神輿を担ぐようになりました。
  • yoshida07
    五神会の仲間

神輿から広がる、まちでの活動

町役場も、いろいろな形で五神会を応援してくれています。「はっぴをつくらないといけないけど、お金がない」と相談したら、倉庫に眠っているはっぴを寄贈してくれたこともありました。こっちはその恩返しとして、役場が開催するイベントで駐車場の係を手伝ったりしています。

五戸町の企業からも多くの支援を頂いています。知人から紹介を受けたり、飛び込みで行ったりしていますが、皆さん話をしていると五戸町の将来を危惧しており、「少しでも賑やかになるなら」と応援してくださります。

まちでの活動も増えました。コロナ禍で成人式の会場に入場制限がかかったときには、五神会に関わっている同級生から「会場の外に記念撮影用のパネルを置きたい」と提案がありました。美容院をやっている女性で、振袖の着付けをするから他人事とは思えなかったようです。それで同級生たちを集めて、役場や教育委員会に許可をもらって、塗装業をしている者や絵が上手な者を中心に、自分たちでパネルを制作しました。
  • yoshida08
    同級生たちと制作した撮影用パネル
もちろんボランティアでしたが、成人した子たちがそこに集まって家族と写真を撮っているのを見たら、「やってよかったな」と感動しました。そうすると、次はこんなことやろう、あんなことやろうと、また思えるんですよね。

ほかにも、地元自治会で役員をしたり、五戸まつりの山車運行の責任者会で顧問をしたりしています。また、手話サークルに参加し活動の手伝いもしています。人口が減って地域行事の担い手が足りていないから、いろいろ頼まれますが、自分は呼ばれればどこにでも行くようにしています。もともと頼まれると断れない性格だし、そうすることで、まちの人たちに五神会を認めてもらいたいという強い思いもあります。

何かを始めたいなら、自分から出かけていく

自分のポリシーとして、何かを始めたいときは、自ら出かけていくようにしています。行った先でいろんな人と知り合って、その人たちが何をしているのか見て、困っていたら手伝う。お互いの人柄を知り、打ち解ける。すると後々「この前手伝ってもらったから」と、こちらのやりたいことに協力してもらえるようになります。僕も最初は一人で十和田の「わ組」に入って、3年間いろいろな場所で神輿を担いでいたから、五戸町で神輿を担ぐときに、大勢の仲間が応援に来てくれました。今もお祭りシーズンになると、毎週のようにどこかにお神輿を担ぎに行っています。

まずは自分から出かけていって人脈を広げてみると、仲間の力も加わり、あるとき一気に物事が進むかもしれません。

県内で神輿を見つけたら、五神会の紫のはっぴを探して声をかけてくださいね。飛び込み大歓迎ですので、一緒に担ぎましょう。

この記事についてのお問い合わせ

若者定着還流促進課人づくりグループ
電話:017-734-9133  FAX:017-734-8027

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