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更新日付:2008年7月1日 地域生活文化課

青森県近現代史の玉手箱03「蕪島の変遷」

蕪島は八戸市の歴史を示す鏡です。     編集  近現代部会担当 中園 裕

蕪島
 蕪島はウミネコの生殖地として有名ですね。蕪島神社に参拝する際には、ウミネコの落とし物にあたらないよう傘が必需品となります。幸いに神社側でビニール傘を用意してくれていますが、用心深く歩いていても、落とし物にあたってしまう危険があります。けれども夕日の中で、ウミネコがいっせいに飛び立つ美しい姿を見れば、そんなことはどうでもよくなってしまいます。本当に不思議な島です。
 今の蕪島は埋立てられて陸続きになっていますが、昔の蕪島は文字通りの島でした。写真は大正初期のものです。1918(大正7)年に鮫湾漁港修築期成同盟会が結成され、港の建設運動が本格化します。翌年、蕪島に橋がかけられ、埋立工事が始まります。

蕪島近影
 ちなみに蕪島の近影写真(2004年11月13日、宮本利行氏が撮影)を見ると、まったく様子が違っています。
 1922(昭和4)年5月、市制施行した八戸市は、八戸港の建設を最重要課題とします。国に埋立事業の推進を陳情し続け、政府も八戸港を重要港湾に指定します。そのため鮫の海岸は大幅に埋立てられ、海岸沖にも長大な防波堤が作られました。このため蕪島や周辺の海岸風景はずいぶんと様相を変えています。
 この後、蕪島に海軍が軍事施設を建設し、遂に蕪島は陸続きになります。しかし「北の要塞」と化した蕪島は、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年7月15日、アメリカ軍から空襲を受けることになるのです。                 

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