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更新日付:2009年9月2日 地域生活文化課

青森県史の質問箱02

ネブタ特集

Q1 青森ねぶたの掛け声である「ラッセラー」の意味は何なのですか?

A1 民俗部会担当の清野耕司がお答えします。

 かつて「出せ、出せ、ロウソク、出せ…」というかけ声がありました。 江戸時代には、全国的な眠り流し行事の掛け声(唱え言)である「ねむた流れろ、豆の葉とまれ」が、青森でも囃子ことばとなっていました。悪いものは流れよ、良いものはとどまれ、ほどの意味があったらしいです。
 その後、時代が変わり、行事の内容も変化するにつれて、掛け声も青森の「ラッセラー」、弘前の「ヤーヤドー」など、「ネプタコながれろ、豆の葉コとまれ」とは随分趣の違ったものとなりました。
 「ラッセラー」は戦後に調子が変化してからの掛け声で、それ以前は「ラッセ、ラッセ」「ラセ、ラセ」というものでした。県内の下北や津軽各地のねぶたを引いて歩くときの昔の掛け声には、「出せ、出せ、ろうそく出せ、出さねばかっちゃくぞ」というようなものがあったといいます。断定はできませんが、全国的にも知られるようになった「ラッセラー」は、ろうそくやお菓子などをねだった「出せ、出せ」と無関係ではないだろうと考えられます。

Q2 「ねぶた」と「ねぷた」は何が違うのですか?

A2 民俗部会担当の清野耕司がお答えします。

 内容の違いというより表記の問題と思われます。現在、青森は「ねぶた祭」で弘前は「ねぷた祭り」という表記を使っていますが、何がどう違うというよりも表記の問題と考えた方がよいでしょう。江戸時代には、「ねぶた」「ねむた」「ねふた」などの表記が見られ、江戸末期からは「侫武多」という当て字も多用されます。明治末には詩人が「ネプタ」をつかったり、昭和に入ってから弘前の新聞社も「ネプタ」を使うようになります。
 ただ、表記上は「ねぶた」が優位であったものが、徐々に「ねぶた」「ねぷた」が併用されるようになります。新聞だけを見ると、青森の『東奥日報』が「ねぶた」、弘前の『陸奥新報』が「ねぷた」に定着していった昭和20年代後半が使い分けの始まりで、昭和55年に国が「青森のねぶた」「弘前のねぷた」を重要無形民俗文化財に指定してから、ことさらに区別を強調するようになったようです。
 発音上は年配の方の言葉を聞いていると、青森市の人でも「ねぶた」は「ネンプタ」、「眠い」は「ネンプテェ」といっているように聞こえます。
  • 県庁ねぶた
    初めて出陣する県庁ねぶた
    1961(昭和36)年8月6日
    (県史編さんグループ所蔵)

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