源義経(みなもとのよしつね)は生きのびて青森へ?
源義経(みなもとのよしつね)は、平安時代(へいあんじだい)末期(まっき)から鎌倉時代(かまくらじだい)初期(しょき)の武将(ぶしょう)だよ。
源氏(げんじ)の棟梁(とうりょう)、源義朝(みなもとのよしとも)の九男として生まれて、おさないころは「牛若丸(うしわかまる)」とよばれていたよ。
牛若丸と武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)が、京都(きょうと)の五条大橋(ごじょうおおはし)で出会ったときの話は有名だね。
歴史では、義経は、腹違い(はらちがい)のお兄さん、源頼朝(みなもとのよりとも)におわれて、奥州(おうしゅう)、現在の岩手県(いわてけん)で自害(じがい)したことになっているんだけれど、実は生きのびて北へのがれ、青森から北海道(ほっかいどう)へわたったという伝説(でんせつ)があるんだ。
青森県津軽半島(つがるはんとう)北端(ほくたん)の外ヶ浜町(そとがはままち)は、義経が北海道にわたった土地とされていて、義経にまつわるものがたくさんあるよ。
- 厩石(まやいし)
荒れる津軽海峡(つがるかいきょう)に行く手をはばまれた義経が、観音像(かんのんぞう)をかざって、三日三晩(みっかみばん)祈りつづけたといわれる岩。
義経が祈りつづけると、やがて海は静まり、岩の洞穴(どうけつ)に3頭の龍馬(りゅうま)がつながれていて、義経とその家来は龍馬に乗って海をわたったというんだ(「厩(まや)」は馬をあらわす言葉だよ)。
ここは平成17年3月までは、三厩村(みんまやむら)という地名だったんだけれど、この地名の由来(ゆらい)にもなったんだよ。 - 義経寺(ぎけいじ)
義経が祈りをささげたという観音像が安置(あんち)されているよ。 - 甲岩(かぶといわ)
無事にわたれるようにと義経が大切にしていた甲(かぶと)を海神にささげた場所にある岩で、こんもりと甲に似た形をしているよ。




