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更新日付:2009年3月31日 文化財保護課

弘前城 天守、二の丸辰巳櫓、二の丸未申櫓、二の丸丑寅櫓、二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、北の郭北門、三の丸東門

重要文化財(建造物)

弘前城
天守、二の丸辰巳櫓、二の丸未申櫓、二の丸丑寅櫓、二の丸南門、二の丸東門、
三の丸追手門、北の郭北門、三の丸東門

  • 弘前城 天守、二の丸辰巳櫓
  • 弘前城 二の丸未申櫓、二の丸丑寅櫓
  • 弘前城 二の丸南門、二の丸東門
  • 弘前城 三の丸追手門、北の郭北門、三の丸東門
    写真提供 弘前市教育委員会
指定区分 重要文化財
名称及び員数 ひろさきじょう てんしゅ、にのまるたつみやぐら、
にのまるひつじさるやぐら、にのまるうしとらやぐら、
にのまるみなみもん、にのまるひがしもん、
さんのまるおうてもん、きたのくるわきたもん、
さんのまるひがしもん
弘前城 天守、二の丸辰巳櫓、二の丸未申櫓、
二の丸丑寅櫓、二の丸南門、二の丸東門、
三の丸追手門、北の郭北門、三の丸東門
 9棟
所在地 弘前市下白銀町3
所有者 弘前市
指定年月日 昭和12年7月29日
昭和28年11月14日(三の丸東門)
公開状況 外観のみ公開
(天守のみ有料 期間 4月11日~11月23日)
問合せ先 弘前市教育委員会文化財課
 TEL0172-82-1642

時期 〈天守:江戸時代後期 文化7年(1810)
櫓・門:江戸時代前期 慶長16年(1611)〉
 天守は、弘前2代藩主信枚が当初に築城したときは五層で、本丸西南隅に構えていたが寛永4年(1627)9月に落雷で焼失したという。
 現在のものは、3層3階櫓の銅板葺で、1層目は間口6間で奥行5間、2層目は間口5間で奥行4間、3層目は間口4間の奥行3間となっており、本丸東南隅に建つ独立天守で、東北地方に残る唯一の遺構である。
 9代藩主寧親が「櫓を造営する」との名目で幕府の許可を得たものともいわれており、江戸時代後期の天守閣建築の典型とされている。
 3棟の隅櫓は、すべて3層3階からなっており、1・2層を4間四方の同面積とし、そのうえに1層を重ねて3階としている。屋根はとち葺型銅板葺で、土蔵造に白漆喰塗り、壁は太鼓壁で、内部には敵の攻撃に備えてか小石を積めている。
 有事の際に備えて、弓矢などを保管しておく場所であり、また攻撃するところでもあったので、「矢倉」「物見」とも呼ばれている。そのために、矢狭間、鉄砲狭間、石落しなどがある。
 5棟の櫓門は、脇戸付櫓門で屋根は銅瓦葺であり、ほぼ同型同大であるが北の郭北門はほかの門に比べて大きく、銃眼がないなど外観もやや異なる。いずれも桝形を構成する土塁に囲まれており、下層の屋根がひときわ高く造られている。桝形とは、敵の直進力を阻み、味方は横矢で敵を容易に討ちやすくした施設である。

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この記事についてのお問い合わせ

文化財保護課
電話:017-734-9919  FAX:017-734-8280
※見学に関するお問い合わせは、所有者又は各市町村教育委員会へお願いしま す。

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