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更新日付:2012年8月20日 世界文化遺産登録推進室

連載企画『縄文遊々学』

第62回 貝塚のこと
 貝塚は教科書に必ずといっていいほど登場する、縄文時代を代表する遺跡のひとつです。主に人間が採集した貝を利用した後に捨てた、ゴミ捨て場と考えられているようです。北欧にも貝塚は多数分布しますが、貝塚はデンマーク語の「台所の掃き溜め」に由来するとされています。
 縄文時代に限ったものではなく、弥生時代にも古代にもありますし、青森県では東通村に所在する中世の浜尻屋貝塚が史跡に指定されています。本県は陸奥湾でのホタテ養殖が盛んですが、あのホタテの貝殻を捨てた場所はさながら現代版の貝塚と言うこともできるのかもしれません。
 明治10年にモースによって日本で最初に発掘調査が行われた大森貝塚に見られるように、これまで日本の考古学の進展にも大きく貢献してきました。出土人骨による日本人の起源に関する研究や当時の環境、食生生活の解明が大きく進みました。また、貝の堆積はと土壌の堆積より視覚的にわかりやすく、例えば貝の捨てられた層の上下では当然時間差が考えられますので、その堆積状況を利用した土器の変遷についての研究も進みました。さらに、貝塚は通常海岸近くに作られることが多いことから、貝の種類や貝塚の位置を手がかりに当時の海岸線の推定にも利用されています。村越潔先生は、貝塚の分布から本県では縄文時代には現在よりも海岸線が内陸に入り込んでおり、特に十三湖は現在のつがる市や五所川原市付近まで広がり、大きな内湾を形成していたものと考えています。
 この貝塚は地域によって分布の偏りがあることがわかっています。圧倒的に太平洋側に多く、日本海側が少ないという特徴があります。その理由として、日本海側では潮の干満の差が少なく、貝の採集に適さないことや、貝の棲息に適さない地形などの理由が考えられていますが、後の地盤の沈降による水没や砂丘等に埋没した可能性も考えられています。
 本県では八戸市周辺、小川原湖周辺、むつ市周辺、津軽半島西部に比較的多く見られ、日本海沿岸にも少ないながらも見られます。意外にも陸奥湾沿いには少なく、特に青森市周辺にも大浦貝塚のみが知られているだけです。
 貝塚は貝だけが捨てられているわけではなく、動物や魚の骨はもちろん、土器や石器も含まれますし、時として人骨が出土することもあります。ということから単純なゴミ捨て場というわけではなく、最近では「送りの場」として考えられるようになっています。「送り」はアイヌ民族に見られるように道具や動物、時には家もその役目を終えた際に、感謝の念を込めて、あの世に送り出す、考えや儀式のことです。 大量生産、大量消費の現代とは違い、自然とともに生き、自然の恵みに感謝しながら大事に利用していた縄文人にすれば当然のことであったのでしょう。

  • 史跡二ツ森貝塚の貝層
    七戸町史跡二ツ森貝塚の貝層(白く見えるものが貝殻)


  • 縄文時代の推定海岸線
    縄文時代の推定海岸線(村越潔『東北北部の新石器時代における海岸線の浸退に関する試論』弘前大学教育学部紀要13 1964より)

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電話:017-734-9183  FAX:017-734-8128

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