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更新日付:2014年2月21日 世界文化遺産登録推進室

連載企画『縄文遊々学』

第78回 遺跡地図を知っていますか(3)
 遺跡地図とともに公開されている遺跡地名表(どちらも青森県教育委員会のホームページで見ることができます)には、遺跡のさらに詳しい時代や時期が記載されている場合があります。これらの遺跡には、発掘調査され、詳しい内容がわかっているものもあればさらに詳しい調査が必要なものもありますが、それでも大まかな傾向は知ることができると思います。埋蔵文化財や考古学に詳しい市町村の専門職員も増えており、今後遺跡地図や遺跡地名表の精度もさらに向上すると思われます。

 縄文時代については、現在考古学の世界では古い方から草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期区分が一般的に用いられています。草創期では史跡大平山元遺跡(外ヶ浜町)、早期では史跡長七谷地貝塚(八戸市)、前期~中期では特別史跡三内丸山遺跡(青森市)、後期では史跡小牧野遺跡(青森市)、晩期では史跡是川石器時代遺跡(八戸市)、史跡亀ヶ岡石器時代遺跡(つがる市)、史跡大森勝山遺跡(弘前市)などが著名です。
 この6期区分による遺跡地名表に示された津軽地方と南部地方の時期毎の遺跡数をグラフにしてみました。まず、時期毎の遺跡数では草創期の遺跡がきわめて少ないこと、後期の遺跡が非常に多いこと、晩期の亀ヶ岡文化の遺跡は少なくないこと、などがわかります。全国的に見ても草創期の遺跡は少ないことから、本県においても同様の傾向と考えられます。また、県南地方では草創期の遺跡が十和田火山の噴火による火山灰に覆われ、その存在がわかりにくいということも考えられます。
 遺跡数では津軽地方より南部地方がやや多いようですが、海に近く生活に適した段丘が発達しているなどの理由が考えられ、これは貝塚が太平洋岸に多く見られるのと同じ傾向と言えます。
 遺跡数の増減では、前期までは増加傾向にあるものの中期では一旦減少すること、しかし後期では急増すること、そして晩期には急減すること、などが見えてきます。この傾向は津軽地方も南部地方もあまり違いがないようです。前期~中期は本県では円筒土器文化が繁栄する時代ですが、私は以前から前期から中期にかけて遺跡数、つまり集落数が減少しているのはどうも集落の統合や集中型居住の展開といった社会の大きな変化があったのではないかと考えています。そして、後期になり遺跡数が急増するのは拡散・分散型居住の展開をしめしているのではないかとの仮説を持っています。今後、この時期の遺跡の発掘調査がおこなわれるとこのような社会の変化があったかどうか、検証できるようになると思われ、その日が来ることを楽しみにしています。

 遺跡地図はそれをたよりに現地を訪ねる楽しみもありますが、眺めているだけでもいろいろな発想が湧いてきます。一度自分の住んでいる地域の遺跡地図をご覧になってはいかがでしょうか。
  • 津軽と南部の遺跡数
    津軽と南部の遺跡数 

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