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更新日付:2011年12月19日 世界文化遺産登録推進室

連載企画『縄文遊々学』

第49回 冬至の日没
 縄文時代には環状列石や盛り土、大型掘立柱建物など大規模であるにも関わらず、目的や機能がはっきりとしない、構築物や建造物などが造られ、記念物と呼ばれています。これらの造営には多くの人手と時間を必要とし、まさしく社会の成熟の様相を伝えています。

 これら記念物の中には夏至・冬至、春分・秋分など二至二分における太陽との関係が考えられているものがあります。例えば、秋田県鹿角市の特別史跡大湯環状列石は万座と野中堂と二つの環状列石がありますが、夏至にはこの二つの環状列石の中心を結んだ延長上に太陽が沈むとされています。

 三内丸山遺跡でもクリの巨木を使った6本の柱による大型掘立柱建物跡の長軸が、夏至の日の出と冬至の日没を向いているのではという指摘があります。しかし、本当にそうでしょうか。少なくとも三内丸山遺跡に長い間携わってきた私にはそうは見えません。92年から発掘調査が始まり、94年にはあの有名な大型掘立柱建物跡が見つかりました。そして今日も継続して発掘調査が行われていますが、遺跡の中では太陽との関係を積極的に見いだすことができる事実はないと言わざるを得ません。

 時間があれば夏至の日の出と冬至の日没の様子を撮影するべく遺跡に立ちますが、夏至には柱の間から太陽が昇り、冬至には柱の間に日が沈むといったことは確認できないわけです。夏至は梅雨時で、冬至は雪模様といった具合に3年に一度くらいしか太陽をきれいに拝めるとはできませんが、それでも明らかにずれていることは間違いありません。縄文時代と現代とは地軸の傾きは同じではありませんので、太陽の位置も変わっているわけです。そういう意味では三内丸山遺跡で、さも冬至の日に柱の間に太陽が落ちるように見せている写真もあまり説得力がないのかもしれません。

 大型掘立柱建物跡と太陽の関係については天文学に詳しい小田桐茂良先生も指摘しています。先生は在職時、県立青森南高校自然科学部の顧問をされ、生徒達と一緒に遺跡で観測を二年間行い、天文学の視点で研究を行いました。この研究の内容は『特別史跡三内丸山遺跡年報13』に詳しく報告されており、ホームページで閲覧できます。先生はむしろ、遠くに見える山など、地形との関係を意識していたのではと考えています。

 自然と共に生きた縄文の人々は周りの地形を含めて自然の様子は熟知していたと思います。当然、太陽や月、星など天体の運行についても良く知っており、日々の生活の中にそれらを取り込んだカレンダーを持っていたことは容易に想像できます。しかし、遺跡の中でその証拠を見つけることは難しく、三内丸山遺跡でも現在のところ確認はされていないわけです。
  • 夏至の日の出の様子
    夏至の日の出の様子(連続写真、2008)
    『特別史跡三内丸山遺跡年報13』より転載

  • 冬至の日没の様子
    冬至の日没の様子(2001)

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世界文化遺産登録推進室
電話:017-734-9183  FAX:017-734-8128

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